「資本論」が「生き延びるための武器」になる事実 19世紀イギリスにマルクスが見た不変の原理
ただ「これを読んで、『資本論』を読む気がするかな?」という疑問があるのです。学生や社会人がそういった入門書を読んで、「ふうん。よし、では1つ頑張って『資本論』を読んでやろう」という気持ちになるかというと、残念ながらそういう方向へ誘導してくれそうな本があまり見当たらないように感じられるのです。
そこに私がやるべきことがあるのではないか、と思い至ったのです。『武器としての「資本論」』で私が「ここが『資本論』のキモです」という話をして、それをきっかけに読者の皆さんにぜひ『資本論』を読んでいただきたい。もうすでに読んだよという方は、ぜひ再読していただきたいと思っています。そのためにはどういった方法があるか、いろいろ考えてみたのがこの本なのです。
現実の見え方がガラッと変わる
今や大学においても、「講義でマルクスをやります」と言うには、何かしら言い訳が必要な世の中になっています。
1つは時代の問題があります。マルクスが生きたのは19世紀です。生まれたのが1818年で、少し前にマルクス生誕200周年があったわけです。
そうなると、「今の世の中は19世紀当時と大きく変わっているではないか。いくらマルクスが天才的に頭がよかったといっても、200年も前の人が見聞きして書いたことと現在の状況には、だいぶギャップができているだろう」と思われるわけです。
それはそのとおりなのです。当時と比べて世の中が変わっていることはたくさんあります。にもかかわらず、なぜマルクスがいまだに重要だと言われているのかといえば、それはマルクスの創造した概念の射程が非常に広いからです。何かしらの本質をつかんでいるからこそ、今日なお読まれるだけの価値があるのです。
『武器としての「資本論」』では、マルクスにおいて特徴的ないくつかの概念を深掘りしました。マルクスが19世紀のイギリスという現実を見てそこから得た概念、それは現在にも十分通用するものです。
なぜか。マルクスの概念には大きな拡張性があるからです。本質をつかんでいるからこそ、拡張性がある。マルクスが現代に至るまでの資本主義社会の変化のすべてを想定・予言していた、などと考える必要はありません。
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