新型コロナのデマに踊る人々に映る深刻な錯乱 「最悪の事態に備えた行動」とは似て非なる

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関東大震災のときに発生した朝鮮人の虐殺(あまり知られていないが、ここには多数の日本人も含まれている)が典型だが、これは現代でもソーシャルメディアなどで伝聞が拡散して引き起こされる。

2018年にメキシコで起こった殺人事件はその一例だ。ある町に「子どもを誘拐し臓器を売買している人物」がいるという噂がソーシャルメディアで広まり、怒り狂った群集が男性2人を暴行し、焼き殺してしまった。 同様の事件はインドでも発生している。

また、直接手は下さなくても責任の所在を突き止めてネットリンチに至ることも想定される。

2018年の台風21号の際、フェイクニュースを信じたネットユーザーなどの批判を浴びて台湾の外交官が自殺した。批判のきっかけは、ネットの掲示板に「中国の在大阪総領事館がバスを手配し、中国人を優先的に退避させている」と書き込まれたことだった。実際はそのような事実はなかったが、駐大阪の総領事に相当する処長への個人攻撃が殺到して最悪の結末を迎えた。

「魔女狩り」に似ている

わたしたちがリスクの特定や責任の所在に躍起になるのは、「コントロール不可能な事態」が「コントロールが可能なもの」へと切り替えられるからだ。これは、究極的には「実際上の因果関係が成立している」かどうかよりも、「目に見えるもので強制力を行使できる事物」へと関心が向かう「魔女狩り」に似る。いわば原始的な心性ともいえ、完全に避けることは難しい思考の飛躍だ。

歴史家のルネ・ジラールは、「科学精神は、人間にとって最初のものではありえない。科学精神の前提となるのは、現代の民族学者たちが見事にも明らかにした、呪術―迫害的思考への古びた好みの放棄である」と釘を刺した。

人類はつねに、自然に由来し、遠くにあって理解しがたい原因よりは、「社会的に意味があり、人間が干渉して変更させることができる」原因、言いかえれば犠牲者のほうを好んできたのであった。(『身代りの山羊』織田年和・富永茂樹訳、法政大学出版局)
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「デマを信じて行動すること」と、「最悪の事態に備えつつ行動すること」は、外見上は見分けがつきにくいがまったく異なる。わたしたちはセンシティブな身の上であることを認めたうえで、慌てたりせずに慎重に状況を見極めながら生活を送ることが求められている。

真鍋 厚 評論家、著述家

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まなべ・あつし / Atsushi Manabe

1979年、奈良県生まれ。大阪芸術大学大学院修士課程修了。出版社に勤める傍ら評論活動を展開。 単著に『テロリスト・ワールド』(現代書館)、『不寛容という不安』(彩流社)。(写真撮影:長谷部ナオキチ)

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