転がり込んだ家は東京の新小岩。知り合った男性ではなく、彼の友人の男性の家に住むという奇妙な上京でしたが、それでも構いませんでした。
貯金も何もなく、このままでは同棲相手に家賃も払えないので、出会い系サイトのサクラのアルバイトを始めました。
毎日12時間くらい働いて、朝帰り。時給は高かったけれど、ストレスも多くて、帰りにゲームセンターでUFOキャッチャーのぬいぐるみをたくさん取るのがストレス発散の日課になりました。
ある日、同棲相手の男性がナナイさんの父親に会いに行くことになりました。
心理学部の学生だった彼は、ナナイさんが父親の話をするたびに、いかにその行動に問題があるかを説き、次第に父親と1対1で話をさせてほしいと言うようになっていたのです。
父親は話し合いで、ナナイさんについて「あの子は虚言癖がある」と話したそうです。
「もしかして、『私は本当に虚言癖があるのでは?』と疑って、脳みそがグチャグチャになった時期もありましたよ」
それほど、親の言うことは絶対だと思って生きてきました。
でもそれを聞いたとき、心の中で驚くほどはっきり両親と決別したのです。自分で自分の人生を歩んでいくしかありません。
入院も同棲も実家にいるよりハッピー
専門学校に通って、きちんと文章の勉強がしてみたい。思い浮かんだのはそのことでした。
小さい頃から文章を書くのが好きで、オリジナルの童話を書いたり、学芸会のときにはクラスを代表して脚本を書いたりしていました。
ナナイさんがこれまで腐らずに生きてこられたのは、人生に文章があったからかもしれません。
小学校の読書感想文がコンクールに選ばれて受賞したのは、とくに印象的な出来事です。
その読書感想文は母親に散々意見されて書き直したものだったので、いま思うと複雑な気持ちもしますが、当時は文章を認められた誇らしい事実だけが素直に胸に残りました。
ところが、専門学校に通い始めて2年目で、交通事故に遭って退学を余儀なくされます。
友人が運転するバイクの後部座席で車と衝突して、ナナイさんの右脚は粉砕骨折。右脚のひざから下の骨が完全に粉々になっていて、医師から切断の可能性も告げられるほど重傷でした。
奇跡的に切断せずに治せることになりましたが、20歳からの3年間は思うように歩けず、週5でリハビリする日々が続きました。
それでも入院中のほうが実家にいるより安心で、ハッピーだったとナナイさんは話します。
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