東京で夢追うシナリオライター女子の転々生活 いいかげんな訳じゃないけど引っ越しの達人に

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大人になったナナイさんは、ゲームにまつわる文章を書いて、自分で稼いだお金でコレクションを買って暮らしています。

引っ越しのとき、フィギュアはナナイさんがひとつひとつ丁寧に梱包します。段ボールにわかりやすく分類するのももうお手の物です。

大人になって好きなゲームにまつわる文章を書き、自分で稼いだお金でコレクションを買って暮らすナナイさん。彼女の子ども時代はというと(撮影:川本 史織)

ナナイさんは神奈川県生まれ。ひとり娘で、両親と3人暮らしでした。

「うちの家族、様子がおかしいんです」

両親ともにひどくヒステリックな性格で、とくに母親には幼い頃から殴られて育ちました。

ヒステリックさは父親のほうがマシでしたが、浪費家で浮気性だったので、ストレス発散が家の外に向いていただけのことです。

父親の好き勝手な行動に耐えて、鬱憤がたまった母親のはけ口はいつもひとり娘のナナイさんでした。

うつの症状はあったがそれが病気なのかわからなかった

初めて心療内科にかかったのは高校生のとき。

思えば幼少期からうつの症状はありましたが、慢性的だったのでそれが病気なのかわからなかったのです。

やたらと薬を処方してくる病院で、うつの症状と薬の副作用で学校に行けず、共働きの両親にも気づかれないまま、朝から夜まで1日中眠っている日もありました。

当然高校にはまともに通えていませんでしたが、クラスにゲームやアニメ好きな友人たちがいたので、学校生活自体はつらくありませんでした。

うつの症状が重いとゲームをするのもつらく、ぼんやりアニメを観るくらいしかできませんでしたが、元気な日は友人たちと放課後にゲームをするのが楽しかったとナナイさんは当時を振り返ります。

面倒見のいい先生もいて、無断欠席していると電話をかけてくれたり、絶対に出席しないといけない授業を教えてくれたり、なんとか卒業させようとしてくれたおかげで高校は無事に卒業できました。

その頃、ナナイさんはインターネットで年上の男性と知り合います。

ずっと心のどこかに、この生活から救い出してほしいような、家や学校の外の世界と交流を持ちたい願望がありました。

ずっと、この生活から救い出してほしいような、外の世界と交流を持ちたい願望があった(撮影:川本 史織)

パソコンを介して両親の話をしているうちに、普通じゃないと言われて驚き、彼を頼って実家から出る決意をしたのです。

気分の上下によって、突然怒られて殴られたり、全裸で家から締め出されたりするのが、普通の家ではありえないと、ナナイさんはずっと知りませんでした。

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