ゴーンがひた隠しにしてきた「父親とその過去」 レバノン日刊紙を賑わせた父ジョージ

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1962年12月20日、控訴審で死刑判決が破棄され、ジョージは15年の有期刑に減刑された。そして、1970年11月に刑務所から釈放された。

ゲーム終了? すっかりというわけではない。釈放の4カ月後にジョージはまた逮捕された。今度はベイルート中心部ハムラ通りのホースシューカフェでだ。買い手を装った警察官にはめられたジョージは、3万4000ドルの偽札を所持しているところを見つかった。

刑務所から釈放されて以来、ジョージはイタリアから輸入した印刷機で偽札を刷っていた。「逮捕されるまでに100万ドル分の偽札を流通させていた」と、ロリアンは報じている。

逮捕翌日にジョージは、刑務所のドアから引きはがしたアルミニウム片で手首の静脈を切り裂いて自殺しようとしたという。

ロリアンは当時の記事の再掲や、これについてのコメントはしていない。今回、筆者が当時の新聞記事の写真を利用したいと問い合わせたところ、拒否された。

父親の葬儀にはひっそりと参加

同級生によると気性が穏やかだったというカルロスは、勉強に情熱を燃やしていた。1971年、17歳のときにパリに出て、リセ・スタニスラス入学に備えた。

1972年11月27日、ジョージは再び判決を言い渡された。今回は3年の有期刑だった。その年、カルロスは18歳の誕生日を迎えている。1974年2月、20歳のときに10人ほどの外国人とともにエコール・ポリテクニークに入学。学生証の「国籍」欄には「ブラジル」と記載した。「彼はレバノン人ではなく、ブラジル人と付き合っていた」と、当時の親友は振り返る。

その後、ジョージが新聞で大きく取り上げられることはなくなった。ベイルート市民は、1975年の内戦勃発の混乱に乗じてブラジルに戻ったと推測している。ある友人によると、ジョージの葬儀は2006年ごろにリオデジャネイロのサン・フランシスコ・デ・パウラ教会で執り行われた。妻ローズは列席していた。そして、息子カルロスも。

(敬称略)

レジス・アルノー 『フランス・ジャポン・エコー』編集長、仏フィガロ東京特派員

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Régis Arnaud

ジャーナリスト。フランスの日刊紙ル・フィガロ、週刊経済誌『シャランジュ』の東京特派員、日仏語ビジネス誌『フランス・ジャポン・エコー』の編集長を務めるほか、阿波踊りパリのプロデュースも手掛ける。小説『Tokyo c’est fini』(1996年)の著者。近著に『誰も知らないカルロス・ゴーンの真実』(2020年)がある。

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