成人式を「伝統行事」と重宝する日本人の勘違い トラブル続出の式典はもうやめにしませんか

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「元服」は個々の家で行うが、「成人式」は自治体主催によって同い年の若者たちが一堂に会する点が、まったく違う。ではあるが、この戦後生まれの新しい行事は、奈良時代からの「元服」のイメージを取り込むことで、古くからの伝統行事のように見えてきた。伝統は、古い一部を取り込むことで、その全体が古くからあるように装うものなのだ。

穿った見方をすれば、戦後の日本もまた、明治と同様、できたての国家と国民であったのだ。大きな混乱期において、両者は暗黙のうちに「伝統」という共通のフィクションを求めたのかもしれない。

最初に述べたように、のちにハッピーマンデー制度で、成人の日は1月の第2月曜に定められた。違和感を抱く方がもいるだろうが、元々「古くからの伝統的な行事」でもなく、その「日付」でもないのだから、まあ、別にいつ行われてもいいのだ(実際に、若者たちが集まりやすいお盆に成人式を行う自治体もあるし)。

もう式典にこだわらなくていいのでは

さて、2022年から日本の成人は18歳になる。多くの若者が高校3年生だ。大学を受験する人は、受験直前のいちばん大変なときが成人式とぶつかる。これまで同様の成人式でいいのか?

今のところ、多くの自治体は20歳での成人式継続を考えているようだ。ルーツを自認する蕨市など、早々に宣言している。

「成人式発祥の地である蕨市では、改正民法が施行される2022年4月以降も、20歳を対象に成年式を開催していくことといたしました。なお、18歳を迎えた成年に対しては、市長からのお祝いメッセージや年齢要件の変更に伴う制度上の周知・啓発の方法などについて、今後、検討を進めていきたいと考えています」

親として、社会として、子供が大人に成長したことを祝う趣旨に異論はないだろう。しかし一堂に会する必要はあるのだろうか? 一堂に会するから着飾りたくなるし、トラブルもおきる。元々、古くからの伝統ではないのだから、式典にこだわる必要はないのではないか。

藤井 青銅 作家・放送作家

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ふじい せいどう / Saydo Fujii

23歳のとき、第1回「星新一ショートショートコンテスト」入賞。これを機に作家・脚本家・放送作家としての活動に入る。メディアでの活動も多岐にわたる。著作に『「日本の伝統」の正体』『幸せな裏方』などがある。

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