成人式を「伝統行事」と重宝する日本人の勘違い トラブル続出の式典はもうやめにしませんか

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もう1つ、ルーツを主張しているのが宮崎県諸塚村(もろつかそん)。昭和22(1947)年4月に10日間にも及ぶ宿泊研修や成人講座、成人祭を行い、受講終了の証しとして修了証書を授与した。

こっちには「成人式発祥の地」の石碑がある。碑文は、「昭和20年8月、日本は第2次世界大戦に敗れ、満20才の男子を対象に実施されていた徴兵制度も廃止された」で始まり、「国民は未曽有の敗戦により希望を失い、道徳は廃れ、郷土の将来を背負う若者から成人としての自覚が喪失されつつあった」と続いている。戦前・戦中の成人儀礼(イニシエーション)である徴兵検査を意識していることは明らかだろう。

東西どちらの行事がルーツなのかはわからないが、昭和23(1948)年、国は1月15日を「成人の日」とした。趣旨は「おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます」日とある。「みずから生き抜こうとする」という表現などなかなかハードだ。祝っているのか突き放しているのか、よくわからない。

こうして見ると、「成人の日・成人式」は制定から70年が経過しているとはいえ、「古くからの伝統的な行事」と呼ぶには疑問符がつく。

成人の日・成人式のもう1つのルーツに、「元服」がある。「元服」の儀式は十分古い。和銅7(714)年、『続日本紀』による皇太子(のちの聖武天皇)元服の記述が初出だとされる。奈良時代だ。

元は中国の風習を真似て行われたもので、男子が成人になるための儀式。以来、年齢は一定しないが、だいたい11~15、6歳までの間に行われた。女子の場合は「裳着(もぎ)」や「髪上げ」と呼ぶ。年齢もほぼ同様。髪型、服装の変化と幼名から諱(いみな)になることで、大人社会の仲間入りをするのだ。

こういった風習・儀式は、初期は朝廷で行われたものが、しだいに公家社会で行われるようになる。やがてそれが、武家→豪商→裕福な家→一般庶民へ……と、しだいに下に降りてきて広がるのがパターンだ。ある程度生活に余裕がなくてはできないし、多少の教養も必要になる。一般庶民が憧れていた上層社会の真似事をしたくなるのは自然な感情だ。むろん、幼児死亡率が高かった当時、よくぞここまで無事に育ってくれたという親の思いもあるだろう。

はっきりしない「成人の日」のルーツ

元服は小正月(1月15日)に行われていたので、新設された「成人の日」はこの日に合わせた――とされている。だが実は、元服の日付は一定していない。だいたい正月(1~7日)のどこかで、陰陽師が吉日を選ぶ。

小正月は、1月1日の「大正月」に対する言葉だ。小豆粥を食べ、どんど焼きなどの行事がある。農村地帯では「成木(なりき)責め」「鳥追い」などの豊作祈願行事がある……と民俗学の本には書いてあるが、現代ではピンとこない。元は嫁が実家に帰る日で、そこから派生して商家では藪入り(奉公人の休日)となったともあるが、これもまた現代ではピンとこない。いずれにせよ、元服とは関係なさそうだ。事実、成人の日の原案では、ほかの日付も候補にあったようだ。

こうして見ると、「成人の日・成人式」という伝統は、「日付」に関してもまた疑問符がつく。

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