30歳、プロ野球を3度クビになった男の波乱曲折

引退の中後悠平、横浜DeNAで始める次の人生

最初の取材は、戦力外通告を受けたばかりの時だった。中後は結婚したばかりの妻と二人暮らし。妻のお腹には新しい息吹が芽生えていた。妊娠8カ月で夫が職を失うという現実。その重たい空気のなか、自宅でトライアウトの結果の電話を待つ中後を取材させてもらった。

「電話がいつ鳴るかもわからないじゃないですか。ディレクターさんは、できるだけ僕らの邪魔になりたくないと、家の隅っこにいるんですよ。しかも正座で。足を崩してくださいね、って言ってもずっと正座(笑)。

そのあとアメリカに行く時も一緒についてきてくれて、右も左も分からない僕の手助けをたくさんしてくれた。撮られる側からすれば、もちろん撮らないでほしいところを撮りたいと言われることもある。でも熱意を持って説得してくれたし、少しでも良い内容にするために、番組を作る側の人も努力しているのが分かりました。プロデューサーさんと議論したのも、今となっては良い思い出です」

プロ8年間で印象に残っている出来事

今回取材するにあたって、濃密なプロ8年間で印象に残っている出来事を中後に尋ねてみた。「いっぱいありますよ……」と少し遠くを見つめる。最初にあげたのは、ドラフトで指名された直後の会見だった。

「大勢のカメラのシャッター音が記憶にあります。その後に仲間が外で祝ってくれたあの瞬間は忘れられないですね。人生でもないですよ。あんなに大勢の人が僕に注目してくれて、学校で胴上げしてくれて。あんな経験は最初で最後です」

続いてあげたのは、プロ初登板の思い出だ。

「あんなに痺れる場面で投げさせてもらったのは、自分でもよくやったなって言ってあげたい」。ただ、その後のロッテでの思い出はあまりないと呟く。「肩を壊してから、ずっとその戦いでしたね。痛くて投げられない。でも投げないと…って我慢して投げていました」

そして2014年秋、一度目の戦力外通告。ここから番組取材班の密着が始まった。その年末、番組の放送後、アリゾナ・ダイヤモンドバックスのオファーを受けて渡米した。

「アメリカ時代の思い出は全部ですね。何もかも鮮明におぼえています。

マイナーで1年目のルーキーリーグからハイエー(1A)、飛んで3A。2〜3年目は2Aと3A。

この2年半は全員で200人くらいチームメイトがいたんじゃないですかね。僕の野球人生の誇りですよ。いないでしょ、ルーキーリーグから全階級投げたやつ」

その間に第二子も生まれて4人家族になった。単身赴任生活で奮闘する様子を、『戦力外通告』の姉妹番組『バース・デイ』や『プロ野球選手の妻たち』でも幾度となく追い続けた。

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