30歳、プロ野球を3度クビになった男の波乱曲折 引退の中後悠平、横浜DeNAで始める次の人生
そして一昨年の夏、マイナーリーグをシーズン途中で戦力外となり帰国。横浜DeNAの入団テストから合格までの一部始終を密着させてもらった。
「あのテストのときが一番良いピッチングだった。笑い話ですけど、あのピッチングができたら今年もプロに残れたでしょうね」。
その5年以上の密着取材で、姉妹番組を合わせて中後の特集を放送したのは実に5回。
「『戦力外通告』や『バースデイ』という番組じゃなくて『中後悠平』って番組じゃないかってくらい出させてもらったので(笑)。横浜でも誰かしら知らない人に声をかけられましたし、見てくれている人は見てくれているんだなって勇気付けられました。僕、たぶんロッテの時よりも知名度上がりましたよ」
そう中後は、おどけてみせた。
来年からは新しい生活が始まる。横浜DeNAから戦力外を通告された中後だが、実はそのとき次なる展開が待ち受けていた。
10月1日、球団事務所で来季はないことを言い渡された。人生3度目の戦力外通告。前日に電話で呼び出されたとき覚悟はできていたから、淡々と受け答えをして部屋を出て帰ろうとしたときだった。球団の人が追いかけてきて、通路でこう告げた。
「よかったら来年から株式会社横浜DeNAベイスターズの球団職員として働かないか?」
それは中後にとって思いがけないオファーだった。幾度となくクビを言い渡された中後だが、それでも腐らずに這い上がろうとする姿勢、そして単身アメリカに行った苦労と経験を、球団は高く評価してくれていたのだ。
「嬉しかったですよ。ロッテのときは何も話がなかったし、どうしたらいいかわからなかった。野球を続ける選択肢もありましたけど、もしダメだったとしてもお世話になる場所がある、そう思ったら気持ちがすごく楽になりましたね。ホンマにありがたいと思いました」
球団職員としてサラリーマン生活がスタートする
そして11月25日。プロのどの球団からもオファーがないことを悟り、中後は現役引退を発表した。配属先は未定だが、年明け1月6日から球団職員としてのサラリーマン生活がスタートする。
「不安も大きいですけど、楽しみでもあります。スーツを着て電車で通勤する仕事するなんてしたことないですから。でもそれが普通なんです。もちろんヒゲもツルツルに剃りますし、白髪が生えてこないかぎり髪の毛も染めへん。一社会人として当たり前のことなんで」
現役時代の頃から、人知れず努力をするサラリーマンの姿を目に焼き付けてきた。いつかはユニフォームを脱ぐときが来る。自分は野球エリートではない。だからこそ華やかなプロ野球の世界とは程遠い、一般の多くの社会人の生活を自分でイメージしてきた。スーツ族にはスーツ族の、町工場には町工場の、職人には職人の、それぞれのプライドを持ったプロがいた。職種は様々でも、それぞれの努力と苦悩があった。