30歳、プロ野球を3度クビになった男の波乱曲折 引退の中後悠平、横浜DeNAで始める次の人生
実際、今季の中後の二軍での成績は特筆すべきものがあった。44試合登板はチームトップで、5勝0敗4セーブ。防御率はなんと1.17だった。
ただ、本人が分岐点だったと反芻する試合がある。今季一軍初登板となった7月26日の中日戦だ。7回裏ツーアウトランナー無しの場面でマウンドに登った。2対1でリードはわずか1点で打者は京田。
「求められているのはワンポイントでいけて、左バッターを抑えること。僕も十二分にわかっていました、ここだと。ツーストライクまで追い込んでからボールが4つ続いてフォアボールになった。そこで決まりましたね。よく言うじゃないですか。チャンスをくれなかったとか、もっとチャンスをくれたら活躍できたとか。でも、少なからず僕はチャンスをいただいたんですよ」
翌日の試合では1イニングを投げて無安打無失点に抑えたが二軍に降格した。
「追試みたいに呼ばれた」という9月6日の中日戦では2/3イニングで被安打3、自責点1。ここでも翌日の試合は三者凡退と完璧に抑え切った。だが2度の昇格とも、首脳陣が見つめるここぞという最初の登板で結果を残すことが出来なかった。
自分自身は何度もクビを通告されながらもテストを受けて現役を続けさせてもらった身。立場的にも年齢的にもこれ以上、プロ野球の世界でチャンスがないことを悟りケジメをつけることにした。
本当に濃い8年間でした、もう一回とは思わない
「いろんな人に出会って恵まれた現役生活でした。アメリカも含めていろんなところに行けたし。後悔はありますけど、もう1回戻ってやり直したいとは思わないですね。よく言うじゃないですか、戻ってあのときちゃんとやっていればって。そういうのはない。まだまだ青かった自分もあるし、そこから成長していく自分もあったし。本当に濃い8年間でしたね。うん、戻ってもう1回とは思わない」
濃い8年間。そのうち実に5年以上に渡って、戦力外通告取材班は定期的に中後悠平の人生を描く機会に恵まれた。スタートは2014年秋、千葉ロッテマリーンズをクビになった直後のことだった。それから彼の人生の節目節目に密着することになった。
「たぶん番組史上、これだけ人生が変わった男はいないんじゃないですか? 番組映像がキッカケでメジャーリーグ関係者の目にとまって、まさかのアメリカに。それ以上の話ってないんじゃないですか。
出演の話をいただいてなかったら、日本の独立リーグに行って終わっていた。26歳27歳くらいで現役が終わっていたかもしれない。なのにさらに4年間も野球をできた。番組がなかったら今の僕はいないんで、すごく感謝しています」