30歳、プロ野球を3度クビになった男の波乱曲折 引退の中後悠平、横浜DeNAで始める次の人生
「めちゃくちゃ大変だなと思って見ていました。考えられないですもん、暑いときもスーツ着て、ちゃんとお辞儀して。常識かもしれないけど、取引先とかお客さんを見送るときも姿が消えるまで頭を下げて…。僕らプロ野球選手はそれをされてた側ですけど、今からはそれをする側になる。ナメてかかったらアカンなと思います。“俺はプロ野球選手だったんだぞ”っていう意識じゃ絶対に通用せえへんし。今からは一番下の人間になるんで、上の人から貪欲に学んで吸収していくつもりです」
30歳の新たな旅立ち。3度のクビを味わった中後に、最後にこんな質問を投げかけてみた。「このご時世、勤め人にも“戦力外通告”が当たり前のようにある。リストラや早期退職や窓際に押しやられたりすることも。もし将来、自分がその立場になったらどうするか?」と。
「そうなったときに“なんで俺が?”とだけは思いたくない。絶対に何か自分に理由があるんですよ。僕がクビになったきっかけも多数ある。僕が完璧に働いてたら、仕事してたら、抑えてたら、そんなことにはなってない。この会社憎いなって思うくらいやったら、そこから意地でも這い上がってやるぞって思える自分でいたいです」
その姿勢こそ、紛れもなくプロ野球生活で培ってきた財産だ。今だから書けることだが、5年もの取材期間中に中後が弱音を吐き、泣き言を言うことがあった。だが戦力外通告を受けて這い上がるたび、彼は精神的に強くなっていった。
とにかく「前」を向いていたい
「子どもだったんですよ、逃げ道を探していたんじゃないですか。昔は愚痴ってばかりだったのかも知れないけど、振り返ってみると、少なからずチャンスを貰っていた。もう自分自身に言い訳はしたくないんです」
プロ野球の世界では花を咲かせることはできなかった。苦労ばかりの日々だった。だがその途上で人生を歩む術を身につけ、逞しく成長した青年がここにいる。
「僕の名前は“中後”なんですけど、中途半端に留まったり後ろ向きにはなりたくない。とにかく前を向いていたいので(笑)」。彼はそう軽やかに締めくくった。
(敬称略、文:津川晋一/ディレクター・スポーツジャーナリスト)
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