韓国・中国文学が2019年の日本を席巻したワケ 韓国文学に感じる「使命感と必然性」
坂上:どのぐらい前の時代の作品ですか。
斎藤:CUONさんで最初に刊行された『広場』という作品は1960年代、書肆侃侃房さんの『驟雨』が1950年代ですね。これまで韓国文学の紹介については、個別にいろいろな努力はされてきたのですが、全体像が見えづらい、体系的でない、ということがずっと言われてきました。
ただ、私の考えでは、いきなり古い時代の文学にチャレンジしても、それを消化する要素がなくて挫折することもあるかと思う。一方で、今紹介されている新しい文学を読んで、韓国の歴史に興味を持ったり、若い世代の物語に出てくる親や祖父母の時代に興味を持つ人たちも出てきています。
そうした人たちのために、今後、部数は少なくとも着実に韓国文学史上の名作が徐々に紹介されていけばいい。そのような、読者が本を選びやすいような状況は徐々に作られつつあります。読者層の裾野が広がればこそ、それが可能になるということです。
坂上:どの国の文学でも、例えばアメリカ文学史でも韓国文学史でも、いきなり体系的には読めないですよね。
井口:読みやすいところから入っていってもらえればいいですよね。
あと、チョ・ナムジュさんの『彼女の名前は』が、すんみさんと小山内園子さんの訳で2020年の前半ぐらいに筑摩書房から出版予定です。
韓国文学イコールフェミニズムではない
斎藤:『彼女の名前は』も面白くて、10代から70代までの、いろいろな立場の女性への取材をもとにさまざまな女性像を書いているんですね。
『キム・ジヨン』は誰か個人を取材したというよりは、ありそうなエピソードを集めてボカロを作るような感じで作っていったヒロインだけど、こちらは実際の体験者に話をしっかり聞いて回ったということです。
井口:会社でセクハラに遭った人の話とか、すごくリアリティーがあった。その後に、チョ・ナムジュの『サハマンション』が斎藤さんの訳で出ます。
斎藤:近未来ディストピア小説(ユートピアの正反対の世界を描いた小説。現代社会の課題を背景として、未来や架空の世界を舞台に社会・政治的風刺を含んで描かれるSF小説の一種)です。
坂上:いま世界中でディストピア小説がはやっていますよね。韓国でもそうなんですか。
斎藤:多いです。あと韓国では、いわゆるクィア文学(性的マイノリティの人々をテーマに描いた文学作品)と言われるものがフェミニズム文学の後にきていて、これは必ず紹介されると思います。
フェミニズムというのは韓国文学の非常に重要な一部分です。そしてもちろん、ほかにもいろいろなものがありますので、選んでいただければと。
坂上:韓国文学イコールフェミニズムではないと。フェミニズムの文脈以外の韓国文学もこれから翻訳されていくのは、本当に楽しみです。隣の国なのに、これまで知られてこなかったのが不思議なぐらいなので。