結果は2時間18分34秒(10位)と振るわなかったものの、その後も積極的にマラソンに参戦。箱根駅伝のような華々しい活躍こそなかったが、一歩一歩“階段”を上っていった。
2010年12月の福岡国際で2時間13分23秒(5位)、11年3月のびわ湖で2時間10分41秒(6位)をマーク。ロンドン五輪代表を狙える選手に成長した。
しかし、国内選考レースとなった2011年12月に行われた福岡国際では、“公務員ランナー”川内優輝のスパートについていけず、日本人2番目(4位、タイムは2時間10分32秒)。 3カ月後のびわ湖で再挑戦するも42位(2時間17分50秒)に終わり、ロンドン五輪代表の座を逃した。昨年2月の東京マラソンで2時間10分29秒の自己ベストをマークするも11位。昨年11月のニューヨークシティでも2時間10分45秒(6位)と、4度目の2時間10分台にとどまった。
「2時間10分は『壁』というよりは、『またか』という気持ちでしたね。前半速くても、スローペースになっても、それぐらいのタイムになってしまって。当時は2時間10分を切れると思っていましたし、『やってやるんだ』という気持ちも強かった。でもいま思うと、それだけの練習ができていなかったですね。やはり準備がしっかりできていないと、気持ちだけでは難しい。また、マラソンはこうだという固定観念があって、自分自身で難しくしていた部分もあると思います」
転機となったのは昨年11月に出場したニューヨークシティマラソンだった。厳しいコースで、風も強く、ほかのメジャーレースでは存在するペースメーカーもいないという悪条件のレースを、「2時間7~8分台で走れるメドがついた」という仕上がりで迎えた。結果のタイム(2時間10分45秒)だけを見ればもうひとつだったが、ガチンコレースで6位に食い込み、あの川内優輝にも先着した。
「世界大会に出場するときのことを考えて、ペースメーカーのいないレースで、勝負したかったのです。自分の考えでしっかり練習が積めて、今まで感じていたモヤモヤがなくなりました。結果としては、2時間10分を破ることができませんでしたが、いいイメージをつかむことができたのです。この感覚を次のレースに早くつなげたいと思ったので、2月の別府大分で再び勝負することを決めました」
6度目の挑戦で“壁”を突破
今井は今年2月の別府大分マラソンに出場して、「よければ8分台、最低でも10分台」という目標を掲げてレースに臨んだ。ペースメーカーがいなくなった30km付近から自ら動いて、ライバルたちを引き離す。34.5km付近でアブラハム・キプリモ(ウガンダ)に引き離されたが、終盤の走りがすばらしかった。40km地点ではキプリモと15秒差もあったが、徐々に追い上げて、一時は5秒差にまで詰め寄った。
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