スター・ウォーズを「差別的」とする人の大誤解

多様性とはいったい何をもっていうのか

誰しも少なからずレイシストの一面をもち、アラブ人や黒人、ウーキー、モンスター、白人など、自分とは異なる人種に嫌悪感を抱く。ルークでさえそうだ。ダゴバで初めてヨーダに出会ったとき、ルークは彼がジェダイ・マスターであるとは思わない。

なぜならヨーダが、小さな緑色のクリーチャーだったからだ。ルークは彼を見下し、子供や目下の人間に話しかけるような言葉で声をかける。ヨーダを肌の色だけで見くびったのだ。

つまり私たちは、差異を受け入れられない。なぜだろうか。

人類学者クロード・レヴィ=ストロース(1908~2009)は『人種と歴史』の中で、「固い心理的基盤」の存在を指摘している。

確かに多様性は、しばしば暴力や憎悪のもとになってきた。多様性は敵なのだ。

やさしいイウォークたちでさえ、最初はルークやハン・ソロを敵視していた。自分たちとは違う容貌であり、自分たちとは違う言語を話していたからだ。イウォークはルークたちを動物のように扱い、蒸し焼きにしようとした。その一方でC-3POを神とあがめ、玉座に案内した。

反乱軍の多様性と帝国軍の画一性

ルーカスはスター・ウォーズをロボットの視点で展開していく。最初の作品『新たなる希望』の冒頭でも、まずは主要人物としてロボットが登場し、やがて舞台はタトゥイーンの砂漠へと移る。

ほかの登場人物の間に距離を置くことで、ルークを近寄りがたい英雄のように見せ、そこから神話的物語が始まる。

しかしルーカスには別の意図、もっと重要な意図があった。物語をナチズム的美意識の視点から語ることへの拒絶である。

ロボットから見れば、ルークは多数のクリーチャーの一種にすぎない。最初に登場するクリーチャーはジャワ族だった。ジャワは攻撃的な小柄な一族で、つねにフードをかぶっているため、顔は見えず、目だけが光っている。

ルーカスは本当の意味で「マルチカルチャー」の映画をつくろうとしていた。先述のような批判を受け、主要登場人物を黒人俳優だけで固めることも考えたという。さらには黒澤映画を愛するあまり、スター・ウォーズを日本語で撮影し、英語字幕をつけることまで考えていた。

つまり彼が目指したのは、アメリカ映画もしくは西欧映画として異文化を描くことではなく、既存の視点にはない新たなマルチカルチャー作品をつくることだったのだ。

スター・ウォーズは、あらゆる人種と文化からなる反逆児の映画であり、多様性への讃歌である。人間もいれば、イウォークやウーキーもいる。デス・スター爆破の後に続く戦闘場面のレイア姫のように、女性が戦闘を指揮することもある。 

モン・カラマリ族だってそうだ。モン・カラマリ族のアクバー提督は『ジェダイの帰還』で、最後の攻撃の指揮をとった。魚のような頭と「罠だったか」のセリフが印象的なキャラクターだ。

その一方で反乱軍の多様性と対照的なのが、一様に暗色に身を包んだ帝国側である。ストームトルーパーは白で統一されている。女性も黒人もおらず、白い人ばかりだ。いや、そもそも彼らはクローンなのである。

その統一性や画一性は、人間性の欠如や自由の否定を意味している。クローン軍は個人性を奪われ、ただの機械になり、アイデンティティーを持つこともなければ、自分の頭で考えることもない。

この多様性の欠如こそが帝国の特徴であり、ほかのSF作品に登場する独裁者や現実世界の全体主義政府との共通点でもある。

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