船橋:天下国家か……古風だけど、公共政策を相手にする場合、大切な精神ですよね。
クー:資金が潤沢なことにも驚きました。また、当時は男性が総合職、女性は一般職という区別があった時代でしたが、すべての総合職の男性に一般職の女性1人がアシスタントについていました。能力も学歴も男性社員と遜色ない女性です。男性より優秀で、後々追い抜いていった人も大勢いたくらいです。
もっと驚いたのは当時、米連邦準備制度理事会(FRB)の議長だったポール・ボルカーが議会で証言した翌朝に、発言の速記録が私の机に置いてあったことです。それを読んで、ニューヨークに電話して、元同僚に「どう思う?」と訊ねても、相手はまだ発言内容を知りません。連銀では発言録が出てくるのに1週間ほどかかっていました。そこまで力を入れていたから、野村総研はあそこまでいったのだと思います。
実際に、T5といって、ドイツのIFO、アメリカのブルッキングス、フランスのIFRI、イギリスの王立国際問題研究所に野村総研が加わって、毎年大きな会合を開催していた時期もありました。つまり、世界の名だたるシンクタンクと肩を並べていたということです。
会合には、先ほどのボルカー元FRB議長とか、元ニューヨーク連銀総裁のアンソニー・ソロモンとか、金融界の重鎮も招き、ものすごい方々と議論をすることができました。その時代の野村総研は本当にすばらしいところでした。
残念なことに、1988年にコンピューター会社と合併し2001年に上場して以降、それまでのようなシンクタンクとしての機能は弱くなっていると思います。当時、東京で経済や金融関係の調査・研究に携わっていたメンバーの生き残りは私を含め2人になってしまいました。
野村総研に在籍し続ける理由
船橋:クーさんは世界的に活躍しているエコノミストですから、世界中の大学や研究所からオファーも多いでしょうし、独立されても不安はないと思いますが、なぜ、こんなに長く野村に居続けているんですか。1つのシンクタンクに終身雇用みたいにこれほど長く在籍している世界トップクラスのエコノミストをぼくはほかに知りません。
クー:私が野村総研にいる理由の1つは、市場原理と、そうでない部分が両立しているところに魅力を感じているからです。私の最終顧客は野村證券ですから、野村證券の顧客である投資家の皆さんに経済状況を説明したり、講演をしたり、プレゼンしたりする機会は少なくありません。そして、私の話にご満足いただけた方が、野村證券と取引をしてくださる、ということになります。
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