スターリンを批判して処刑された幻の作家 ピリニャークが『消されない月の話』に書いたこと

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ドイツ移民の父と古い商家出身の母の間に生まれたピリニャークは、1917年の十月革命時に、闇商人まがいの仕事で、また物乞いとして、ロシア各地を流れ歩き、革命の悲惨さを肌で体験した。

その感覚を活かしながら、ピリニャークは実験的な文体でありながら荒々しく土俗的な主題を扱った作品を発表し続けた。戦後日本において、単著として彼の翻訳書が刊行されたのは、わずかに『機械と狼』だけで、ほぼ忘れ去られた作家となってしまっているが、戦前は10冊近い翻訳書が刊行されるなど、社会主義ソ連の花形作家であった。

英雄フルンゼ殺しを糾弾

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戦前の洒落た装丁の『ピリニャアク短編集』。出版社名の「原始社出版」というのもグッド

1925年10月31日、ソ連軍の最高司令官フルンゼが、腹部手術の際に不可解な麻酔事故により急死を遂げる事件が起こる。独裁政治の完成を目指すスターリンに抗った英雄フルンゼの死は、あまりにも不自然であり、その死にスターリンが関わっているとの噂がたった。

そんなさなかの1926年5月、ロシア作家同盟機関誌『ノーヴィ・ミール』にピリニャークが発表した作品こそ、スターリンによるフルンゼ殺しを糾弾した『消されない月の話』である。

筋書きは単純である。国軍の最高司令官ガヴリーロフ(フルンゼ)が軍用列車で街に戻ってくる。ガヴリーロフは労働者階級出身で建国の英雄であり、今や全国軍が彼の号令一下、生きもすれば死にもするという存在である。最近胃腸を傷めたものの、2度の転地療養でどうにか快癒し、今や前線に張り付いていたのだが、その彼が突然街に戻ってきたのだ。

この国において唯一ガヴリーロフに命令し得る人物、最高権力者である「背を決して丸くしない男」(スターリン)が彼を呼び出したためだ。胃腸の不調は既に治ったと主張するガヴリーロフに対し、「背を決して丸くしない男」は、次のように語りかける(米川正夫訳原文ママ)

「君は革命にとつて、必要かくべからざる人物なのだ。僕は博士達を呼んで聞いてみたところ、一月もたつたら、君はぴんぴんしてくると言ふんだ。これは革命の要求なんだよ」

ガヴリーロフに対し、執拗に手術を勧める。「ある予感」から必死にその勧めを断るが、「背を決して丸くしない男」は最後にぴしゃりと「失敬だが、僕はもう命令を出してしまつた」と話を切り上げる。そして「背を決して丸くしない男」に差し向けられた医師団は、ろくに問診もせず、もともと決まっていた「要手術」という結論をくだす。

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