ジャンボ尾崎が、自らのブログで「カウントダウン」と題して、自分の引き際について語っていた。直筆である。
昨年、つるやオープンの第1ラウンドで、62をマークしてエージシュートを達成し、久しぶりにジャンボらしいニュースが流れたけれど、やはりレギュラーツアーで戦うには肉体に限界を感じたのだろう。この引退宣言とも取れる文章は、一つの時代を築いたスーパースターの苦渋とも取れるものだったと思う。
「身体の変化から、思い通りに歩めない自分が出てきている。情けないし、淋(さび)しいし、と思う日々が多くなっている」と書き記していて、周囲から見れば、遅いと取る人もいれば、やはり残念だという人もいる。僕は、このブログを読んでいて、さまざまな思いが巡ってきた。
その一つがプロスポーツ選手の引退についてである。ほかのスポーツと違って、ゴルフは息が長い。レギュラーツアーの後に50歳以上のシニアツアーができて、70歳を過ぎても戦うことができる。だから、潔い引退というシーンは、ゴルフにはなかなか存在しない。
尾崎の場合は、シニアツアー参戦を拒んで、ずっとレギュラーツアーで戦ってきた。頑固なまでに、レギュラーツアーにこだわった。だから、この数年はジャンボ尾崎の存在すら薄れてしまった感がある。それでも根強いファンもいて、戦い続けた。
ずいぶん昔に、中部銀次郎さんの紹介で、稲尾和久さんとお酒を飲んだことがあった。そのときに聞いた話を思い出す。
稲尾さんは、1958年の日本シリーズで、対読売ジャイアンツ戦3連敗の後、4連投して4連勝の逆転劇をやってのけた投手だった。「神様仏様稲尾様」といわれた伝説の人物である。
「稲尾さん、一つ聞いていいですか?」
と、僕は切り出した。そして
「引退するときに未練はありましたか?」
と聞いた。
すると稲尾さんが、はっきりと答えた。
「未練たらたらですよ」
そしてこう話してくれた。
「私がね、変化球を投げて、あ、これだ、と、思いどおりにいったのは、200勝を達成した後、引退間際だったんですよ。あの当時、精神的には充実していた。肉体的には、衰えてきましたけどね。投げて、あー、これが変化球だと」
尾崎の心中は未練たらたら。しかし、ゴルフゲームや技量が完熟していながら、体がついてこないというジレンマからの決断だったのだろう。
おそらく今季限りというニュアンスの文面。一つの時代を築き上げた選手の決断だったが、その行間に、引き際の切なさが伝わってくる。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら