六代目山口組ナンバー2の出所にくすぶる火種 「帰る場所がない」現実と分裂・抗争の激烈

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10月18日、5年4カ月ぶりに「シャバの空気」を吸った高山氏だが、六代目山口組の事務所にも弘道会の事務所にも立ち入ることができない。出所を目前にして「帰る場所」がなくなったのだ。

組員の血液型まで収集

抗争の根本は、言うまでもなく山口組の分裂だ。そもそもなぜ分裂したのか。原因は、六代目山口組を築いた弘道会という組織の“特異さ”に寄るところが大きい。

弘道会は司氏が1984年に設立した組織で、中心にいたのが司氏と高山氏だった。豊富な資金力を背景に勢力図を拡げ、2005年、司氏は六代目山口組の組長の座をものにする。歴史の浅い組織が約20年という短い歳月でトップまで登り詰めることができたのは、司・高山コンビの辣腕によるものだったことは関係者の誰もが認めるところ。だが、この辣腕こそが分裂の遠因となる。

「弘道会方式」と呼ばれる弘道会の統治手法に対する直参組長らの反発は強かった。内部事情に詳しい関係者は「良くいえば緻密。見方を変えれば、中央集権体制下での酷薄な内部統制システム」と表現する。

たとえば直参の各組には、ミネラルウォーターやカップラーメン、コメ、石けん、歯ブラシ、トイレットペーパーなど事務所で使うありとあらゆる日用雑貨を本部から購入させ始めた。これだけでも直参組長らのプライドを傷つけるのに十分だったが、「弘道会らしさ」が強く出たのが徹底した情報管理だ。

もともと弘道会が破竹の勢いで勢力を拡大できたのは資金力だけでなく、圧倒的な情報収集力・分析力があったからである。敵対勢力の幹部や家族、フロント企業などの情報を洗いざらい集め、それを抗争の際の「武器」にする。時にターゲットは警察幹部にまで及び、捜査関係者を震え上がらせた。他方、弘道会がつかみとる情報には警察の捜査情報も含まれた。警察内部に「協力者」を確保していたのだ。

六代目山口組の体制が“特異”だったのは「睨み」の対象を身内にも向けたことである。直参には、組員の氏名や年齢、血液型までリスト化させ、本部に提出させた。平時の行動から稼業、経済力、人事まで掌握されているから直参組長は本部に向かって下手なことができない。分裂は、冷徹な弘道会方式に対する直参組長らの不満が爆発した結果だった。

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