無意味な金融政策を推す「主流派経済学」の功罪 経済学は自然科学という主張には無理がある

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金融緩和は、実は財政政策と同様、需要の先食い、負担の先送りの側面が強い。サイレント・マジョリティの仮想敵に擬せられた日銀はQQEを実施するわけですが、最終的には将来世代に負荷をもたらすおそれがあります。しかし、この点において、反リフレ派の主張も誤っており、財政破綻やハイパーインフレは起こりません。あるとしたら再デフレ。

これが現実化したとき、サイレント・マジョリティの不満はどのくらい膨らむでしょうか。大恐慌後、一部の国で類似の状況に対して取られた政策が全体主義だったことに、政治家は留意すべきです。

経済学は自然科学とは本質的に違う

──回避策はないのでしょうか。

先送りされる負担の規模は着実に積み上がっていきます。この問題を根本的に解決する手立てはないのかもしれません。1つの方向性としては、アメリカの社会心理学者、ジョナサン・ハイトが言う、人間の脳機能に備わっている「道徳基盤」を活性化して、共同体の機能を復活させることでしょう。経済政策以外の手法で、サイレント・マジョリティの分配要求を緩和する方途を探ることです。

『経済学はどのように世界を歪めたのか 経済ポピュリズムの時代』(書影をクリックするとAmazonのサイトへジャンプします)

──経済学に望むことは?

現代社会において経済が重要であることは当然です。だからこそ過去数十年にわたる経済学の隆盛もある。しかし、経済学は再現実験によって予測に近づく自然科学とは本質的に違います。経済学の発展によって経済を完全に予測できるようになると考えることは誤りです。

できないことをできると主張すれば、政治家に都合のいいところをつまみ食いされる。そのことをよく認識すべきです。経済モデルは、あくまでも社会、経済を変えうる多くのツールの1つにすぎないと考えるべきです。

──責任が大きい割に価値中立みたいな顔してますね。

経済学は自然科学であると主張することをやめて、一種の政治思想、社会思想であると立場を移したほうがいい。ある経済変数をこう変えると成長やインフレがこう変わるというような、社会をある種の工学の対象と考える思考回路は改めるべきでしょう。社会全体をどう変えるべきかということをほかの分野の専門家と議論しつつ、総合社会科学へと進化すべきです。経済学に限らず学問の細分化、たこつぼ化が進んでいますが、政治への影響を考えれば、分野横断は不可避です。

筒井 幹雄 東洋経済 記者

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つつい みきお / Mikio Tsutsui

『会社四季報』編集長などを経て、現職は編集委員。

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