「恋愛=幸せ」とは違う価値観が愛される理由 マンガ「裸一貫!つづ井さん」が描く幸せ
しかし、世の中の晩婚化傾向は止まらない。女性の平均初婚年齢は、1990年には25.6歳だったが、2004年には27.6歳、2016年には29.4歳になっている。実際には独身女性が多いにもかかわらず、いや多いからこそ、独身女性を批判的に見る人たちがいる。
結婚をすると、生活を支え合うパートナーがいる喜びがあり、子どもの成長を見守る幸せと同時に、負担も大きくかかる。親族が増え責任が重くなって、生活の煩わしさが増える。子どもができるともっと大変だ。独身を批判する人は、身軽さがうらやましいのかもしれない。だから独身が楽しいと認めたくない。それとも、女性が子どもを産むことを、国のために奉仕する義務と捉えているのだろうか。
そんな時代に登場した「つづ井さん」シリーズは、独身だが楽しい日々をつづる。実は独身もいいじゃないか、と思っていた人たちが、作品を支持しているのではないだろうか。
「恋愛」がなければ作品は成り立たないのか
2つ目の理由は、つづ井さんが恋愛していない点である。「推し」と表現される憧れの対象はいる。しかしその人は、マンガの登場人物や、インターネット上ですら情報がほとんど見つからないマイナーな役者である。つづ井さんは役者の公演を見ても、あいさつに行って近づこうとはしない。だから、作中の憧れの表現は、一方通行である。
その恋愛要素の薄さを前面に押し出す作品なのだ。「恋愛要素なし」の魅力を、象徴的に表すのが、好きな作品が映画化されたときの違和感を友人が語る場面だ。その部分を引用しよう。
と言って、その映画に共感できなかった友人は、自分がおかしいのかと悩む。
こういう場面を「わかる」、と思う人は案外多いのではないだろうか。エンターテインメント系の映画やテレビドラマは、恋愛要素の強い作品が多い。芸術家の伝記映画は、恋愛を軸に物語が展開する。主人公の成長を描く連続ドラマにも、恋愛が絡む。しかし、そこがリアルでないと感じる人や、それ以外の要素をもっと見たいと思う人もいる。
マンガや文学は抽象度が高いため、読者は能動的に行間を読み、頭の中でイメージを作り上げる。じっくりと作品世界に没入する表現が、恋愛物語でなくても共感を呼ぶことは可能だ。対して、映像作品は、キャラクターや背景の具体的なイメージがあり、BGMで盛り上げる。より受動的に鑑賞できるため、マンガや文学より見る人が多い。
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