再スタートになるはずだった結婚生活が、おかしな方向へ向かっている――。麗子さんの苦痛は日に日に膨れあがっていった。
「そんな夫とは反対に、私は看護師としてのキャリアを積み重ね、自信をつけ始めていました。看護師という仕事は、生活スタイルに応じて自由に転職ができるところが魅力です。子どもの成長に合わせ、育児がしやすい環境を求めて何度か転職も経験しました。年収は、就職当初の300万から数年で600万へアップ。あっという間に夫の年収を上回るようになっていました」
結婚生活の破綻は止められず、再婚後4年を過ぎた頃には家庭内別居状態になった。そしてある日、酔った夫が暴発する。
「仕事から帰ってきて、リビングで酔って寝ていた夫と鉢合わせになったんです。ちょっとした口論が加速し、『お前たち3人で俺を仲間はずれにしやがって』と暴言を吐きながら、娘たちの目の前で私を蹴り飛ばしました。ああ、これで終わりだな、と離婚の覚悟が決まった瞬間でした。前の離婚のときとは違い、何も怖くありませんでした」
一方、夫の決断は、最後の最後まで実家頼りだった。「お母さんが離婚しても仕方ないと言ったから、離婚しよう」。高校生になった娘たちの反応もクールだ。養子縁組をしておらず、学校行事などにもほとんど関わってこなかった父親に対し、「別に名字が変わるわけでもないしいいよね」「お父さんとの思い出ってほとんどないから」と、離婚に反対することはなかった。
自立し、強くなれたからこその判断
そして2019年4月に離婚が成立。夫婦の間には、共同名義の戸建てが残った。家が売れれば、財産分与をして関係は終了する。そしてなんと麗子さんは6月下旬、すでに自分名義の戸建てを購入しているという。
「3000万円の中古の戸建てを購入しました。35年ローンを組んでしまったので、副業として別のクリニックでバイトも始めました。月に休みは3日ほどしかありません(苦笑)。すごいですか? 確かに私、強くなりすぎたのかもしれませんね……。前の離婚をしたときはあまりにも無力で、自分に自信が持てず本当につらかった。もし当時のままの弱い自分だったら、とても今回の離婚には踏み切れなかったと思います」
看護師という仕事には、今でも過剰なやりがいは求めていない。あくまで生活費を確保するための手段として、淡々と従事しているだけだと言い切る。ただ、ありとあらゆる形の生き様から死に様、そして患者やその家族を含めた人間の外面から内面までをすべて見ることができるという点で、興味深い仕事だと語る。
人は、どんな生き方を選ぶこともできる。しかし、経済的、精神的に自立することでより強くなり、“本当の意味で”自由に生きることができる。ともすれば、居心地の悪い環境や、ストレスの原因となるパートナーの元から自ら離れるという選択さえも可能にするのだ。
「将来の展望は、娘たちが巣立った後、この大きな家をシングルマザーのシェルターとして活用することなんです。培った看護師の資格も最大限発揮できますからね。今からすごく楽しみです」
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