「事故物件住みます芸人」はこうして誕生した 8万部ヒット著書も持つ松原タニシの軌跡

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「おそるおそるドアを開けると、ムキムキの筋肉で全身イレズミの男が、物干し竿を持って立ってました。『お前かー!!』って怒鳴られました」

男は部屋に入ってこようとしたが、すんでのところで男の奥さんがやってきて連れ帰っていった。

後ほどその男性は大家に、神戸で震災の体験があり、振動音に敏感で発作的にやってしまったと謝ったそうだ。その折に松原さんがドラムを持っていることが大家にバレてしまった。

「『ドラムはやめて』って大家に言われてそれで練習できなくなりました。もちろんネタもできず、借金だけが残りました。何なんだ!!って腹が立ちましたね」

そこからはなかなかうまくいかなくなった。松竹芸能では月1回ライブをしていたが、それにも選ばれなくなった。

煩悩の数だけライブをするんだ!!

「松竹芸能のライブに出演するには、誰が出演するのかを選ぶ人に好かれなければいけないなど色々関門があるんです。

まあ理不尽な部分もあるんですが、社会にはこういうつまらないシステムがたくさんあるじゃないですか。若いうちに出会っておいてよかったと思います」

松原さんは「松竹芸能のライブに出るだけがすべててじゃないよな」と思うようになった。同じような境遇にいる芸人を集めて、さまざまな自主ライブをするようになった。

お芝居にしたら珍しくて注目されるんじゃないか?と思ってやってみたが、演劇はなかなか大変で数回で終わった。

ならば、ピン芸人を集めて、大阪から広島まで各駅で路上ライブをしようということになった。

「大阪から広島まではちょうど108駅あったので、煩悩の数だけライブをするんだ!!ってなりました。

ピン芸人って漫才コンビに比べて人気がつきづらくて、ライブでも落とされがちなんです。ライブに出られないピン芸人を集めてゲリラライブをしたいという思いがありました」

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