そして松原さんは、松竹芸能のお笑い芸人養成学校に通うようになった。
そのとき大学2年生だが、すでに学校にはあまり通っていなかった。
「なぜかそのタイミングで父親が定年退職したのち、同じ大学の同じ学部に入ってきたんですよ。僕が父親の大学の先輩になってしまいました」
家族にはお笑い学校に通っていることは隠していたのだが、学校のつながりでバレてしまった。仕方なく、父親には「大学を辞めようと思っている」と伝えた。
松竹芸能ではアルバイトをしながら芸人を続けた。数カ月で、劇場の進行係の手伝いをすることになった。落語台を出したり、マイクを下げたりするような仕事だ。
「そのとき、お世話になったのが先輩芸人のみわゆうすけさんと、かみじょうたけしさんでした。みわさんに『俺部屋引っ越すから、貸してやるわ』って言われて、初めて1人暮らしをすることになりました」
「じゃあドラム侍でいこう!!」
そのとき、松原さんがやっているネタが、「一発屋芸能人へ手紙を書く」というものだった。
当時人気が高かったお笑い番組『エンタの神様』のオーディションで披露してみると、
「それを楽器使ってやれないかな?」
と言われた。松原さんが「ドラムなら少しは叩けます」と答えると、プロデューサーからは、
「じゃあドラム侍でいこう!! ドラム侍として、もうテレビ出られるからね」
と言われた。
「消費者金融から30万円を借りて、電子ドラムを買いました。それをみわさんから借りた自室に備え付けて、練習しはじめました」
部屋でヘッドホンをつけてドラムを叩いていると、階上から、
「うらー!!」
という怒鳴り声が聞こえてきた。何なんだろう?と思っていると、階段を乱暴に降りて来てドアを激しくノックされた。
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