「事故物件住みます芸人」はこうして誕生した 8万部ヒット著書も持つ松原タニシの軌跡

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高校時代はほとんど勉強せず、大学入試では浪人をすると決めていた。

そして実際に浪人生活を過ごした。

「まずバイトがしたかったんですね。人材派遣会社に登録して、色々な仕事をしてみることにしました」

野菜の市場で段ボールに果物を詰めていくバイトを皮切りに、スーパー、カラオケ、コンビニなどでアルバイトした。

コンビニでのアルバイト中、中学の最後に友達になったオタクなクラスメイトと再会し、バンドを組んでライブをしたりした。

結局入試のギリギリになって勉強をしはじめて、京都の龍谷大学に合格した。

「1人暮らしがしたくて京都の大学に進学したのですが、両親に『何言ってるの? 実家から通いなさい』って言われました。毎日往復4時間の通学はしんどくて、すぐに嫌になりました」

「面白いやついないから、すぐに舞台に立てるよ」

その頃はコンビニの夜勤バイトをしながら大学に通っていたが、バイト終わりに中学校の同級生と再会した。

彼は修学旅行で漫才をしたりして、みんなに『面白い!!』って言われるような友達だった。彼は、松原さんがお笑いに詳しいことを思い出し、

「お笑い芸人になろうと思うねん。吉本と松竹とどっちがいいと思う?」

と聞いてきた。

「松竹のほうがタレントスクールに入る値段が安いのでいいと思うよ、と勧めました。そうしたらそいつ本当に松竹芸能に入って、1~2カ月で舞台に立っていたんですよね。そいつに、

『面白いやついないから、すぐに舞台に立てるよ』

って言われて僕も松竹に入ろうかと思いました。その時まで、お笑い芸人になりたいという気持ちはあんまりなかったんだけど『お笑い養成所に入って、舞台に立つ』という経験はしてみたいなと思ったんです。アルバイトして貯金をしていたのでお金に余裕もありましたしね」

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