「事故物件住みます芸人」はこうして誕生した 8万部ヒット著書も持つ松原タニシの軌跡

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塩川達也選手は、東北楽天ゴールデンイーグルスに入団して活躍、現在は同チームの2軍内野守備走塁コーチを務めている。

「小学生時代はとくにガリ勉じゃなかったですけど、成績はよかったです。1つ上の兄がお笑い、野球、プロレス、音楽とマルチに詳しい人で、その影響で僕も詳しくなりました」

子供の頃は、朝日放送で放送していた『すんげー!Best10』というテレビ番組が好きだった。千原兄弟が司会で、中川家、次長課長、ケンドー・コバヤシ、など現在も人気のある芸人がたくさん出演する番組だった。

「クラスではお笑いにいちばん詳しかったです。クラスで面白いことをやるのは好きでしたけど、でもお笑い芸人になろうとは思ってませんでした」

クラスメイトとの離別

中学校になると、ほかの地区の小学校と合流して人数が増えた。

「『よその小学校のやつらはなんてお笑いのレベルが低いんだ!!』って思ったんです。話していても全然面白くない。ほかの学校の人と、もともとの友達が仲良くなることで“つまらなさ”がクラス中に侵食してくる気がして嫌でした」

そんな松原さんを尻目に、クラスではくだらない下ネタがはやり、みんなで盛り上がっていた。

松原さんは普段は下ネタはしなかったが、どうせ下ネタをするならと思い、和式便器にウンコでウンコという文字を書いてみんなに見せてみた。

「みんな口々に『さすがに笑えねえよ』『やりすぎだよ』って言ってきました。それで、もうこの人達とは面白いことはできないな、って思いました。大げさに言えばクラスメイトとの離別ですね」

松原さんは中学時代も野球部で汗を流していた。中3になり引退すると、野球部員たちはみんなサッカー部やバレー部など学校で“イケてる側”の生徒たちに迎合していった。そして急に女子たちと仲良く話すようになっていく。

「なんだこのつまらなさは!!って思いました。そこで『面白くない人とはしゃべらない』『女子としゃべる人とはしゃべらない』って自分で掟を決めました。

結果的にクラスの端っこでマニアックな話をしていたオタクの人たちとしか話さなくなりました」

そのルールは高校入試にも影響した。よりレベルの高い男女共学の公立高校に進学せず、あえて私立の男子校に進学した。

「当時は『女のいる世界に面白いやつはいない!! 面白いやつだけの国を作ろう!!』って本気で思ってました。ただ高校に入って愕然としました。男子校のクラスメイトも全然おもしろくなかったんです」

松原さんは、入学の日に3年間クラスメイトとは一切しゃべらないと決めた。

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