そんな時にラジオ番組から声がかかった。『森脇健児のサタデーミーティング』(KBS京都)という森脇健児さんがMCを務める番組だった。そして森脇さんから、
「毎週、3分のネタを作ってこい」
と言われた。
「最初意味がわからなかったんですね。ネタって、漫才?コント?って。聞けば3分間フリートークできるネタを持ってこいってことだったんですね。その時初めて、エピソードトークって自分で探すんだって気づきました。毎週、生活しながら必死にネタを探してそれをラジオで話しました。例えば、
『下の兄貴が結婚することになって僕がネタをすることになったんです。上の兄貴が沖縄蛇味線を弾いて、おかんが日本舞踊で踊って、姉貴がアイドルのデビュー曲を歌って(松原さんのお姉さんはアイドル歌手)、父が仏教で説法を始めて。まるで松原一座のようでした』
みたいなトークをしました。5年間呼んでもらえて、普段からの心構えとしてネタを集めること、責任持って面白いトークをすることが習慣になっていきました。これが後からとても役に立ちました。
ただ相変わらずお笑いとしては低迷で、本来のネタではまったく評価されませんでした。レギュラーはこのラジオ番組だけ。周りの芸人もバンバンやめていきました。芸の収入だけでは当然食えず、どうしよう?と思ってるときに『事故物件に住む』という仕事が来ました」
「事故物件に住んでみないか?」
『北野誠のおまえら行くな。』(エンタメ~テレ)という番組に出演することになった。
その番組で北野誠さんに、
「事故物件に住んでみないか?」
とふられ、事故物件に住むことになった。
「事故物件と言えど、ただ住んでいるだけでは、そんなに面白いことはなかなか起きません。そこで、ラジオの経験が生きました。日常の小さなことを拾い、面白く話すクセがついていたんですね。
でも、だんだん感覚が変なふうになっていきました。定点カメラに変なものが写ったり、交通事故に巻き込まれたり、普通なら嫌なことが起きると『ラッキー』って思ってしまうようになるんです。どんなに不幸なことでも、何も起きないよりはいいって思ってしまうんですね(笑)」
ただ、それでもどうしても『事故物件に住む』だけでは、起きることは限られている。基本的には、受動的に何かが起きるのを待つしかない。ならば、自ら何か起きそうな場所に出かけようと考えた。
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