「三国志」の動乱は実は寒冷化の産物だった 気候変動や遊牧民との関係で読み解く中国史
気候・環境と中国史の出発点
以前に「実は『温暖化の産物』だったモンゴル巨大帝国」からアジア史を考察したことがあります。そこで述べたのは、アジア史で注目すべき基本的な事象とは、第1に生態環境、第2に気候変動だということでした。
広大な大陸をなすアジアの生態環境は、突きつめれば乾燥世界と湿潤世界に二分できて、前者の人々は、草原を求めて牧畜を営みながら移動する遊牧生活。後者はわれわれ日本人と同じく、農地で作物を栽培しながら、定住生活を営む世界です。
このように気候・地形・生態系・生活がまったく違う世界が、同時に併存していたのがアジア史の特徴です。当然それは、そこに暮らす人々の人生観、世界観、組織の作り方など、すべてに影響を及ぼしました。
なかんずく重要なのは、その境界地帯です。農耕民と遊牧民はそれぞれ環境と生活・習慣が異なりますから、それぞれ植物性の農産物か、動物性の畜産品しか生産できません。そうしますと、各々を交換すれば、互いに有益です。遊牧と農耕が近接する境界地帯は、交易が起こりやすい条件にあります。
そこでマーケットが誕生、増加し、人々が集まり、聚落(しゅうらく)ができ、文字が生まれて、技術が向上し、やがて国家を形づくります。そこから古代文明が始まりました。
東アジア・中国もそのアジアの一部ですから、まったく同じことが言えます。中国文明を育んだ黄河流域は、まさしくその条件に合致したところでした。そこに古代中国の都市国家が生まれ、春秋戦国の争覇を経て、秦漢帝国の統一へ至ります。
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