「三国志」の動乱は実は寒冷化の産物だった 気候変動や遊牧民との関係で読み解く中国史

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広大な大陸をなすアジアでは、とくに気候変動がどのように国のありように影響を与えてきたのか考察していきます(写真:Katiekk2/iStock)  
中国史を限られた地域史としてではなく、世界史の枠組みで捉えることで新たな歴史が見えてきます。いま話題の書『世界史とつなげて学ぶ中国全史』の著者・岡本隆司氏が、気候変動や遊牧民との関係から中国史を読み解きます。

気候・環境と中国史の出発点

以前に「実は『温暖化の産物』だったモンゴル巨大帝国」からアジア史を考察したことがあります。そこで述べたのは、アジア史で注目すべき基本的な事象とは、第1に生態環境、第2に気候変動だということでした。

『世界史とつなげて学ぶ 中国全史』(書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします)

広大な大陸をなすアジアの生態環境は、突きつめれば乾燥世界と湿潤世界に二分できて、前者の人々は、草原を求めて牧畜を営みながら移動する遊牧生活。後者はわれわれ日本人と同じく、農地で作物を栽培しながら、定住生活を営む世界です。

このように気候・地形・生態系・生活がまったく違う世界が、同時に併存していたのがアジア史の特徴です。当然それは、そこに暮らす人々の人生観、世界観、組織の作り方など、すべてに影響を及ぼしました。

なかんずく重要なのは、その境界地帯です。農耕民と遊牧民はそれぞれ環境と生活・習慣が異なりますから、それぞれ植物性の農産物か、動物性の畜産品しか生産できません。そうしますと、各々を交換すれば、互いに有益です。遊牧と農耕が近接する境界地帯は、交易が起こりやすい条件にあります。

そこでマーケットが誕生、増加し、人々が集まり、聚落(しゅうらく)ができ、文字が生まれて、技術が向上し、やがて国家を形づくります。そこから古代文明が始まりました。

東アジア・中国もそのアジアの一部ですから、まったく同じことが言えます。中国文明を育んだ黄河流域は、まさしくその条件に合致したところでした。そこに古代中国の都市国家が生まれ、春秋戦国の争覇を経て、秦漢帝国の統一へ至ります。

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