「三国志」の動乱は実は寒冷化の産物だった 気候変動や遊牧民との関係で読み解く中国史

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ウイグルの後、10世紀以降にモンゴル高原を支配した契丹(きったん)は、唐を後継した中国の諸王朝を圧倒しましたし、統一王朝の北宋とも、ほとんど対等の関係を結びました。ウイグルにしましても、契丹にしましても、かつて漢王朝と対峙した匈奴よりも、強大かつ長命でして、遊牧国家においても時代の変遷がうかがわれます。

温暖化はもちろん農耕世界にも、大きな変化をもたらしました。気候が温暖になれば、農耕民だって元気になります。しかも寒冷化の時代に蓄積した開発の成果が、花開いていきました。一言でいいますと、経済発展が顕在化してきたのです。

農本主義の唐、商業主義の宋

この時期、東アジアで顕著だったのは、技術革新やエネルギー革命、それを通じた開発の進展でした。中国の王朝名で言えば、唐と宋の間あたりに起こったので、「唐宋変革」と呼んでいます。

石炭の使用が普及し始めたのも、同じ時期でした。これで木材資源の枯渇を防ぐとともに、多大な熱量を得られます。金属器の生産量が飛躍的に増大し、貨幣が大量に鋳造され、中国は一挙に貨幣経済・商業社会へ移行します。

また鉄も大幅に増産できましたから、工具・農具がたくさん作れるようになって、農業生産の増大をも導きました。なかんずく大きく開発が進んだのは、長江デルタの米作地帯です。いよいよ多くの人口が養えるようになります。

このように生産・流通の拡大が加速した唐宋変革で、それまで寒冷化のもと、強制労働・自給自足を主軸にしていた中国の社会経済は、一変したのです。

そのため、唐と宋では国のありようが異なります。ともに300年もの長きにわたって続いた、日本人におなじみの王朝政権ですが、その中身はずいぶん違っていました。

前者はいわば農本主義・軍事本位の立国方針でしたが、後者は商業主義・経済本位というべき特徴を備えていました。唐は四方に武威を輝かせた大帝国でしたが、政権基盤は脆弱で、強力で安定していた時期は、意外に長くありません。それに対し、宋は版図こそ狭小でしたが、政権・政治の安定は歴代抜群、経済大国・文化大国の存在感は際立っていたのです。

(後編につづく)

岡本 隆司 京都府立大学文学部教授

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おかもと・たかし / Takashi Okamoto

1965年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。『属国と自主のあいだ』『明代とは何か』『近代中国と海関』(共に名古屋大学出版会)、『世界史とつなげて学ぶ中国全史』『中国史とつなげて学ぶ日本全史』(共に東洋経済新報社)など著書多数。

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