「三国志」の動乱は実は寒冷化の産物だった 気候変動や遊牧民との関係で読み解く中国史

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中国では曹操がこうした遊牧民・移民をうまく統御して、天下を制しましたが、そのコントロールを失った4世紀以降、遊牧世界と隣接する黄河流域で、遊牧民・農耕民が入り乱れて相争う混乱が深まっていきました。かつての統一王朝の天下が四分五裂した「五胡十六国」とよばれる歴史です。

政権の交代がめまぐるしく、事件の経過も複雑を極めていて、とても覚えられない歴史のプロセスですが、やがてそうした深いカオスのなかから、日本人にもおなじみの隋唐帝国という、新しい体制が生まれてきます。

また、そんな黄河流域の混乱を逃れて、南方に移り住んだ人々も少なくありません。日本列島によく似た気候の長江流域は、かつてはまだ開発のすすまぬ人口希薄な新開地でした。『三国志』の呉・蜀や南朝の政権が、曲がりなりにも独立できたのは、その間一貫して移民と開発が進み、文明の古い黄河流域にひけをとらない生産力をつけてきたことを示しています。

生産力を低下させ、生存まで危険にさらす寒冷化に抗って、人々が生き延びていくには、こうした新開地も含めた荒蕪地の再開発しかありませんでした。移民・難民を強制的に労働させ、土地の生産力をできるかぎり引き出そうとしたもので、そうした営みを制度化したのが、たとえば均田制です。

その基礎の上に唐の勢力が築かれ、また拡大しました。古代日本の律令国家にも取り入れられたのは、よく知られたところでしょう。

しかし各地の再開発は、均等順調には進みません。農耕世界では限られた農地や労働力の争奪もあったでしょうから、大小の紛争も多発します。さらに遊牧世界との対峙も、絶えず続いていました。中国で3世紀の『三国志』の時代から、久しく騒乱が収まらなかったのは、こうした状況が根柢にあったからです。

温暖化と唐宋変革

寒冷化のなか、進行する地域の多元化と秩序の再建・回復、治安の維持とをいかに両立させるか。その当面の答えを出したのが、遊牧民・農耕民の双方の性質を兼ね備えた隋・唐の政権でした。

均田制など、数世紀の試行錯誤から生み出した制度を活用して、割拠政権を克服し、安定した体制の構築に成功したからです。唐王朝は遊牧世界と農耕世界を統一した一大帝国まで樹立できたのです。

ところが唐の統一は長続きしませんでした。歴史はまもなく次のステージに入っていたからです。9世紀になると、様相がはっきりしてきますが、中国史ではもう少しさかのぼって、755年の安史の乱あたりを指標にすればよいでしょうか。

とにかく東アジアは、一大転換期を迎えました。気候が温暖化に転じたためです。その恩恵をまず享受したのは、寒冷地にある草原地域に暮らす遊牧民でした。それまでの寒冷化で縮小していた草原が回復、拡大しましたから、かれらの活動がとみに活発になったのです。

それまで遊牧世界も農耕世界も包括していた唐は、同じ時期に衰退しました。周辺の遊牧国家が自立して、唐より優位に立っています。ウイグルや吐蕃(とばん)などがその典型です。

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