「長男なので、高校生の頃から結婚のプレッシャーをかけられていました。しかも、『同じ韓国人と結婚しろ』とさえ言われて。また、親戚の集まりとなると、食事の支度をするのは女性です。最近は僕自身、動くようにしていたら『みっともないからやめなさい』と言われましたが、『みんなでやったほうが早いから』と言って手伝っています」
圧倒的に日本人が多い日本で生活しているのに、同じ韓国人同士との結婚を望まれているとは、そのハードルの高さに絶句した。韓国人女性の結婚相手を見つける方法はお見合いか、何らかの韓国人のコミュニティーに属していないと難しい。
幼少期は通名を使っていなかったことで「浮いた存在」となり、友達はいなかった。子どもは異質なものを排除したがるからだと健一さんは語る。また、中学の頃に阪神・淡路大震災を経験。住んでいた一軒家は全壊してしまった。被害の少なかった地域へ一時的に避難後、祖父母の家に移り住んだ。
食いつないだ後、激務の雑誌編集の仕事へ
「中学までは勉強ができたので、偏差値的にはいい高校へ進学しました。でも、進路についてまったく考えていませんでした。とくにやりたいこともなかったので。ただ、親に『大学は絶対出ておけ』と言われ、渋々大学を受験したら受かりましたが、何も勉強したくなくて1年で中退してしまいました。今思うと、卒業しておけばよかったと後悔しています。やはり、就職は大卒が条件の企業も多いので……」
健一さんは顔を曇らせた。また、当時はちょうどWindows98が発売された頃で、インターネット黎明期。これからはパソコンの時代だと思い、大学中退後に情報系の専門学校へ入学するも、またもや1年で辞めてしまった。何か目的がないと物事が続かないのだという。
そして、日雇いバイト、コンビニ、カラオケ店などバイトを転々とするフリーター生活へ。「フリーターって縛られなくてよくない?」という世間の風潮もあった。
さまざまなバイトをした後、最終的にラーメン屋でバイトから正社員になった。4年ほど働いていたが、ある日「レジから金を盗んだ」と濡れ衣を着せられ、社長に殴られ解雇されてしまった。監視カメラが2点、違う角度でついていたので、「録画を見てもらえれば俺が盗んだのではないとわかる」と主張するも、聞き入れてもらえず、録画も見てもらえなかった。
その後は1年ほどパチスロで生活をした。月に20万円ほど稼ぐ生活を送っていた頃、mixiでつながっていた友人から「風俗情報誌の編集の仕事がある」と紹介され、未経験だったがその会社に入社した。
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