求人票を見て、高校生ながら氷河期を自覚
25歳以降、彼女がいないという吉田悟さん(仮名・38歳)。現在は自動車関連のメーカーに正社員として勤務している。
きょうだいが多く経済的な余裕がなかったので、工業高校を卒業後、2000年に自動車会社の工場に就職した。
「工業高校だと通常大手の機械系の会社から求人があります。でも、有名企業からほとんど求人が来ておらず、高校生ながらうすうすと『氷河期の中に自分がいるのではないか』と思っていました。当時はどんな会社がいい会社なのかわからず、とにかく基本給がいいところを中心にチェックしていましたが、いちばん高くて月給18万円。でも、詳細を見てみると休みが少なかったり、完全週休2日制でなかったりしました」
入社した会社は町工場の代理企業の孫請けで、月額の基本給が15万円。年間の昇給は3000円と記載されていた。
でも、実際入社してみると残業をしてようやく月給は額面で18万円、そこから社会保険などを引かれて手取りは12万~13万円、昇給は100円ほどで、上がっていることにすら気づかない状態だった。危険な機械を使う業務もあり、職場では機械の操作ミスにより指を失った人もいた。給料は安かったが、実家暮らしだったので住居には困らなかった。
また、この頃は異常なほどのデフレだった。筆者も当時食べ盛りの高校生で、マクドナルドのハンバーガーが58円でとてもありがたかった記憶がある。
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