原宿から生まれたフランス人インスタグラマー 無名の女の子が日本でフォロワー1万人超に

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「私は若いとき(小中学生のとき)、すごい地味だった。でもすごくナンパされた。フランスでは普通のことだけど、こっちが断ると、一瞬で変わる。すごい悪い言葉を言われたり、怒ってくる感じ。しつこいし。でも、派手になってから、そういうの、すごい少なくなった。

家にいるとき以外はつねにこの雰囲気のファッション。原宿でもとても目立つ(筆者撮影)

ナンパっていうよりも、今日、パーティーとかイベントやってますか?その格好いいね、マンガとか好きですか?とか、そういう感じの声のかけ方になって。普通の格好したほうが、弱く見えるかな。これはバリア。このスタイルが守ってくれる」

中学も、高校も、同じような服装の生徒はほかにいなかった。だから思いっきり目立っていたのだろう。マチルダさんの熱烈な「日本への愛」(本人の言葉)に興味を持ち、日本のカルチャーのファンになる生徒が続出した。マチルダさんは、幼い頃からの「ベストフレンド」に日本語を教えたから、その子は今でも観光には困らない程度に日本語を話せる。

「3歳から自分の夢はファッションデザイナー」だったマチルダさんは、高校卒業後、ファッションを学ぶ学校に進学した。ところが1年も経たずに、「いろいろあって、どっちかというとクビになったかな」。

「うちに帰ります」

これからどうしよう……。行き場を失ったとき、背中を押してくれたのは、一緒に日本のドラマを見てきた叔母だった。

「昔から日本大好きだから、行ってきたら?」

このとき、叔母は体調を崩していた。その一方で、マチルダさんと叔父の関係は悪化していた。「もし自分が死んだら、マチルダはどうなってしまうだろう」と心配しての言葉だったと、マチルダさんは理解している。

日本に発つ日、叔母と友人たちが空港に見送りに来てくれた。叔母にはこう伝えた。

「うちに帰ります」

日本が好きで好きで、その思いが最大限に高ぶっていたマチルダさんにとって、日本は遊びに行く場所ではなく、心の拠り所=ホームになっていた。だからこそ「帰ります」という言葉になったのだろう。

2013年のクリスマス、成田空港に降り立った19歳のマチルダさん。フランス時代の話をしているときは淡々とした様子だった彼女が、一転して目をキラキラさせてこう言った。

「日本に来てから、ラッキーなことばっかり! 来てよかった!」

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