25歳で巨人1軍出場を掴んだ男と妻の下克上物語 異色の経歴を歩んだ徳島出身の増田大輝選手
その年のシーズンオフ、優香さんはプロポーズを受けた。交際から1年が経った日のことだった。優香さんは、増田選手と結婚して、プロ野球選手になるまで、そしてなった後も支えると心に決めた。
しかし、この時2人はまだ21歳。増田選手が在籍する独立リーグは年収60万円程度と、野球だけで生活することは不可能だった。
増田選手との結婚を両親に切り出した優香さんは、父・誠司さんの猛反対にあう。かつては増田選手と同じ夢を追いかけていたからこそ、野球で食べていくことの難しさを、誠司さんは痛いほどにわかっていた。
それを優香さんから聞いた増田選手は、小さくこぼした。
「俺、野球やめるよ」
野球を諦め、安定した仕事に就く。野球と優香さんを天秤にかけた増田選手は、優香さんを選んだ。
しかし、優香さんは、もどかしさを抑えきれなかったという。増田選手の覚悟はその程度だったのか。そう思わずにはいられなかった。
「最後にもう1年だけ一緒に頑張ろうよ」
その言葉に、増田選手は奮起した。
1週間後、増田選手は誠司さんに決意を伝えに行く。もう1年だけ。芽が出なければ野球を諦める。増田選手の覚悟を感じ、娘との結婚を許してくれた。
背水の陣で挑んだ夫婦の1年
2015年2月に2人は結婚。同時に、増田選手の勝負の1年が始まった。
開幕直後の4月、福岡ソフトバンクホークス3軍との交流戦が行われた。この試合で増田選手は攻守にわたって大活躍し、プロのスカウトに大きくアピールした。
その後も、増田選手は着実なアピールを続けた。ドラフト会議の直前、その年の有望選手を特集する雑誌には、「積極的な走塁と堅守が光る内野手 献身的な打撃でNPBでも活躍の予感」と掲載される。さらに、プロ野球の複数球団から調査書が届いた。ドラフト指名はほぼ確実だと思われた。
そして、運命のドラフト会議当日。
優香さんは徳島で行われたパブリックビューイングに参加。もし増田選手が指名されれば、優香さんの「プロ野球選手の奥さんになって支える」という夢も叶う。
しかし、開始から3時間が経過しても、増田選手の名前は呼ばれない。支配下選手の指名が終わってしまった。もどかしい時間が流れていた。
だが、会場に空席が目立ち始めた午後8時半。
育成選手の指名が始まった時、その瞬間が訪れた。ジャイアンツが増田選手を指名したのだ。優香さんは母・裕美さんと手を取り合い、喜んだ。
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