そこで、デジタル課税の議論では、超過収益(独占利潤)への課税という発想が浮上した。経済学でいう超過収益とは、競争的な市場において得られる正常利潤を上回った利潤を指す。経済学において、正常利潤に法人税を課すのは資源配分を歪めるから望ましくないが、超過収益に対する課税は望ましい。
それは、超過収益は競争市場を歪めて生み出されるため、それに課税することで市場の歪み(資源配分の非効率性)を是正できるからだ。
したがって、デジタル課税は、デジタルビジネスから生まれる利益に根こそぎ課税しようというものではなく、あくまでも独占利潤に課税するものだ。ただ、現実に生み出された利益は、どこまでが正常利潤でどこからが超過収益なのかは区別できないため、実行するのは容易ではない。そこで、税務上では割り切って、例えば収益率でみて10%を超えた部分を、超過収益とみなして課税するなどの方法が考えられている。
収益が計上された国でなく、顧客のいる国で課税
3つ目の焦点が、無形資産から生じた独占利潤に対してどこで課税するかだ。従来の法人税制では、収益が計上された国や地域(源泉地)で課税することが多かった。そうした源泉地主義課税の原則が、前述のように、国際的な租税回避を助長した面がある。
経済学では、国際的な法人税における源泉地主義課税は、企業の国際的な立地選択に歪みを生じさせるから望ましくなく、顧客がいる国や地域(仕向け地)で課税するほうが望ましい、と考えられている。仕向地主義なら、どこで財やサービスを生み出したかによって課税額が変わらず、企業の国際的な立地選択に中立だからである。
そこで、デジタル課税では、無形資産からの収益は、顧客を相手に仕向け地で生み出されていることに着目して、デジタル課税を行うという発想が出てきた。デジタルビジネスのユーザーがいる国で税を課す案が有力視されている。つまり、その企業が利益を上げるのに貢献した消費者のいる国で税を課すことを意味する。
デジタル課税は、必ずしも仕向地主義課税を意味しないのだが、法人課税としてのデジタル課税を模索する中で、経済学が以前から指摘していた仕向地主義課税というアイデアが生かされる形になったといえよう。法人税が消費税に変わるという大変身を遂げたといっていい。
このように、デジタル課税は、GAFA狙い打ち課税というわけでもなく、デジタルビジネスに打撃を与える意図で課税するものでもない。伝統的なビジネスとデジタルビジネスとの間にある税負担の差異をなくして、競争条件を税制面で不公平にしないようにする取り組みの一環なのだ。
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