「あえて寝室を別にする」夫婦が増えている理由 人生100年時代が問い直す「幸福な距離感」

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その夫婦寝室は寝る部屋であるとともに性行為の部屋でもある。和室を好む声がまだ多数だったということは、もちろんベッドを畳の上に置く事例も少なくなかったが、蒲団の上でいたすことを好む人が多かったことを示すものでもある。開高健が「蒲団vs.ベッド」という透徹した一篇を著したのはそんな頃のことだった。

開高はベッドでは睡眠中落下の恐れがあることに言及しながら、性に焦点をあてて次のように書いている。

「ベッドはふわふわして動きにくいし、そのため接触する皮膚感覚を満足させる方向へと赴いた。これに対して蒲団は、何せ下が固いし、激しい動きも可能である。したがってここから、さまざまな動きを主体にしたラーゲが考案されてきた。四十八手裏表もできたし、テクノロジーの進化という点では蒲団派に軍配は上がり、密着感覚の深化という意味ではベッド派であろう。

(補遺・たとえば騎乗位――われわれのゆかしい古典語では“茶臼をひく”というが、女が茶臼をひくとき、ベッドでは右に傾いたり、左に傾いたりで偏差が生じやすい。ぐらぐらすると、しばしば男のモノをグニャリと踏みつぶすことがあり、目から火花が散るような思いがする。そういうところから結論すると、いくぶん蒲団に利あり、か――)」
(開高健「蒲団VS.ベッド」『風に訊け ザ・ラスト』2003年)

開高による判定は僅差での和室の勝利だった。だが、その当時でも若年層の多く(初見による別の調査によると大学生の7割)はすでにベッド支持に傾いていた。夫婦寝室がやがて洋室とベッドに支配されるのはもはや時間の問題だったといえよう。いまや新築物件では(注文住宅でない限り)畳の部屋は珍しい。

これからのベッドと夫婦別寝

話を戻すと、こうした大勢があるにもかかわらず、高齢者の中にはいまだ蒲団で寝るのに慣れ、それをよしとする方々が多い。

実際、先に紹介した武庫川団地調査によれば、蒲団で就寝している夫婦は8割に上る。そして蒲団で寝ようとすれば畳敷きの部屋が好ましいのは言うまでもなく、そして畳敷きの和室が限られているとすれば、それは必然的に同寝室の可能性を高めることになる。

1979~1987年につくられた武庫川団地の場合には、いかなる間取りでも複数の和室があることから、蒲団就寝を希望しても同寝室も別寝室も選択できる。

しかし、より新しい住宅で和室が一室しかない場合には蒲団就寝を選択すれば、ほぼ自動的に同室就寝にならざるをえないものと想像されるのである。こうして、夫婦が共に寝るかどうかということは、夫婦の距離感とともに、これまで寝具や間取りにも関わる。

カップルの睡眠の景色は、年齢によって、世代によって、時代によって、これからますます変わっていくだろう。

働く世代のなかにリモートワークがさらに普及してカップルが共にいる時間が長くなれば、若い夫婦であっても夫婦間で適度な距離感をとる傾向は強まる。高齢カップルではいまだに夫婦は蒲団で同寝という理念が強いものの、立ち上がるのが負担になってベッドに向かう人も多く、中には将来の介護を想定して自動背上げ機能の付いたベッドを導入する人も少なくないことから、夫婦同寝はますます難しくなるだろう。

これからのカップルの睡眠がどのようになっていくのか、目が離せない。

佐藤 信 東京都立大学准教授

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さとう しん / Shin Sato

1988年、奈良県生まれ。東京大学法学部卒業。同大学院法学政治学研究科博士後期課程中退。博士(学術)。東京大学先端科学技術研究センター助教を経て2020年より現職。専門は政治学、日本政治外交史。著書に『日本婚活思想史序説』(東洋経済新報社)、『鈴木茂三郎』(藤原書店)、『60年代のリアル』(ミネルヴァ書房)、共編著・共著に『政権交代を超えて』『建築と権力のダイナミズム』(ともに岩波書店)、『天皇の近代』(千倉書房)、『近代日本の統治と空間』(東京大学出版会)など。

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