円満な親子関係を見てみますと、親側が子どもに執着せず、「大切な息子が愛する嫁が、息子のそばにいてくれて息子は幸福そうだ。それは同時に親の幸福」という距離感が見えます。
もちろん、息子夫婦の性格や人間の器の大きさその他で、さらに親子の絆を深めてくれる息子夫婦、またはお嫁さんもいます。しかし自分が育ててもいないお嫁さんには、「嫁は息子のそばにいてくれるだけでありがとう」という距離感がちょうどなのです。
結論は純子様の息子さんは、「親を裏切った」のでも、「悪い嫁に騙された薄情な息子」でもないのです。自分の巣作りに責任をもって頑張っているところなのだと解釈しましょう。
「自分が負けること」も、子への無償の愛の一環
普通の交流を望むのでしたら、あなたが変わったことを相手に伝える必要があります。
あなたが絶対に正しいと思うことでも、息子夫婦が嫌がることは言わないほうがよく、しないほうがよいのです。
息子への憎しみは、純子様の誤解だったと解釈することで、矛を収めるしかありません。息子夫婦のやり方は、未熟だった故と許すしかないのです。
私はいつか必ず、息子さんは孫を連れて、親に会いに来ると思います。
それまで待てないようでしたら、第三者を介してでも積極的な方法で、あなたが変わったことを伝えねばなりません。
「最低限、息子や孫には、会いに来てほしいこと。別居のいきさつで息子を責めることはしないが、『一度だけ』、そこに至った原因を聞きたいこと(すれ違いを繰り返さず、了解事項とするために)。そして二度とそれについては触れず、前だけを見て、普通の親子、祖父母と孫のように付き合いたいこと」などについて、伝えるのです。
私は同じ親として、あなたの悔しい気持ちは本当によく理解できます。しかしながら子に勝てる親はなく、ここで「勝って」も、あなたが望むものは手に入りません。ここでは「負ける」ことも、これまで惜しみなく注いできた無償の愛の1つと考えましょう。
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