「平成のJ-POP」が令和時代に迎える変化の大波 音楽P・亀田誠治「ヒットの基準も変わる」
「CDセールスがミリオンヒットを連発していた1990年代の黄金期、僕は街で鳴り響く流行歌やテレビの音楽番組を眺めては小林武史さんや小室哲哉さんすごいな、自分もいつかたくさんの人に聞いてもらえる音楽を作りたいな、と思いながら過ごしていました。
でも、今ではこれをラッキーだったと思っていて、アーティストの花が咲いては散っていく百花繚乱の様子を客観的に見ることができました。自分が音楽業界でどうなりたいかをじっくり考えられた時代でもありますね」
平成という時代の音楽史を振り返ると、1990年代~2000年代前半はレコードからCDへの変革、通信カラオケの登場、ダウンロード配信など、音楽業界は激変した。ミリオンセラーが続出し、絶頂期とも言われた時代だが、亀田誠治には飽和してしまったJ-POP界に新しい風が必要だと感じていたという。
歩んだ道のりを平成の音楽史とともに振り返りながら、令和という新しい時代に続く音楽業界の未来像を語った。
全盛期が過ぎ、時代は新しい風を求めた
「お祭り騒ぎのようにCDが売れ、カラオケでみんながそろって同じ曲を歌うことに、僕はどこか息苦しさを感じていて、このままこの形が続くはずがないと思っていました。これほどエネルギーがあふれた時代が続くと揺り戻しがきて、それまでにない新しい風を人々は求めるものです。そんな時代に登場したのが、椎名林檎さんや宇多田ヒカルさんだったのではないでしょうか」
CDの売り上げピークを記録した1998年に東芝EMI(当時)からデビューした“同期”である、椎名林檎と宇多田ヒカルに共通するアーティストとしての魅力とは何か?
「“陰りや湿り気”でしょうね」
音楽業界を黄金期を謳歌したアーティストが陽のエネルギーにあふれていたJ-POP界において、2人のカウンターカルチャーが新時代到来の風穴を開けた功績は、現在の音楽シーンに脈々と培われているといっても過言ではない。
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