甲子園で誰よりも勝った「髙嶋仁監督」の生き様 智辯和歌山での葛藤と決断の日々

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酒、カラオケ、ゴルフ……といったものとは無縁の生活。平日はもちろん、休みの日になればそれこそ朝から晩までグラウンドに立ち、全力で選手と向き合った。智辯和歌山のグラウンドにはほかの強豪校のグラウンドにあるようないわゆる“監督室”的なスペースがない。髙嶋が指導していた当時の智辯学園も同様で、学校に求めれば作れただろうが、求めなかった。

髙嶋は夏の日も冬の日もいつも選手と同じグラウンドに立ち、ノックを打ち、選手を見続けた。髙嶋が率いたチームの最後の主将、文元洸成(慶応大)はこう言った。

「僕たちのときは体のこともあって直接指導される場面は確かに減りました。でも、本当にいつも自分たちのことを見てくれていてひと言、ふた言アドバイスをもらうことで調子が上向いたりするんです。最後の夏も県大会の初戦でみんなが打つ中、僕だけノーヒット。

試合のあと『お前は結果じゃなくて4番らしい姿、4番らしいスイングを見せてくれたらええんや』と言っていただいて、スッと気持ちが軽くなった。シンプルなんですけどいつも見ていてくれる高嶋先生のひと言だからそれだけの効果があったと思います」

野球に真っ直ぐ、髙嶋が貫いた姿勢

智辯学園時代は監督、部長としてコンビを組み、以降も高嶋を見続けてきた和泉健守もやはり「あの姿勢です」と言って続けた。

「口先だけの指導者だったら選手はついてこない。少々厳しい指導をしても、指導者が自分にも厳しい姿勢を取り、野球に賭ける姿を見せていたら子どもはついてくる。選手は指導者の背中をいつも見てますから。偽りがあるとすぐ見抜かれる。髙嶋君がこれだけ勝ってきたのは自分にも厳しく、野球には真っ直ぐ、あの姿勢があったから」

またこんな声もあった。

「入部して驚いたのが、日本一の監督がゴミ出ししてる!ってことでした。それだけじゃなくて、グラウンド整備、ネット修理、トイレ掃除、部室の掃除、ボール縫い……。生徒に言うだけじゃなく自分でもされる。僕らは授業が終わって着替えて練習に入っていくだけで、アップをしてるときに髙嶋先生がほうきで掃きながら、ゴミ出しもやってくれてる。そんな姿をいつも見てると、この人のために頑張りたい、お返しをしたいって思うようになって、それはすごくありました」(智辯和歌山2009年主将、左向勇登)

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