「大学で遊んだだけの人」が会社で行き詰まる訳 池上彰×佐藤優「今の大学生が学ぶべきこと」
池上:企業の側に、入社した人間を一から育てていくという、主としてコスト面での余裕がなくなっているんですね。
佐藤:こういう話は、マルクス経済学の視点でみていくと、わかりやすいのです。マルクス経済学においては、労働者が受け取る賃金(労働力商品の価値)には3つの要素があると分析します。
1つは、衣食住に費やして、ちょっとしたレジャーを楽しんで、次の1カ月働けるエネルギーを蓄えること。2番目は、家族を育て、次の世代の労働者階級をつくっていく家族の維持という要素。
そして3番目にくるのが、自己教育なのです。システムの高度化などに備えて自分で教育・訓練を行う。その教育費も賃金に含まれるのです。要するに、その3要素を満たす賃金が支払われて、初めて資本主義のシステムが回っていくというわけ。
池上:企業活動にとっても、労働者自身の生活にとっても、教育というのはそれくらい大きなウェートを占める。
佐藤:日本の場合、その個人の責任で習得すべき部分を、長く企業が肩代わりしていたんですね。大学までの座学で基礎的、受動的な知識を身に付けた人間たちを、終身雇用制を前提にしたOJTで鍛え、最初の数年間で実戦に役立つアクティブな力をつけさせていたのです。ところが、論じてきたように今、その企業教育が非常に細ってしまった。
池上:そこで、社会や企業が、大学に「将来を見据えて必要となる人材を輩出していく」ことを求めている、というわけですね。
佐藤:逆にそうなっているから、と今の教育改革を批判する人たちもいます。気持ちはわかるのだけれど、だから大学が「象牙の塔」であっていいということにはならないと思うんですよ。
今も述べたように、以前なら基礎的な知識が頭に入っていれば、稼ぐのに必要なスキルは会社に入ってからトレーニングすればよかった。ところが、それが難しくなっているという現実があるんですね。OJTなしに、いきなり現場に放りこまれるようなことが普通になっているわけで、そこでいちばん困るのは、それに対応できる力を持ち合わせていない若者たちなのだから。
大学のアクティブ・ラーニングと「出口保証」
池上:なるほど。佐藤先生は、そうした考えの下に、大学でアクティブ・ラーニングを実践しているわけですね。「こういう学生を育てたい」という、具体的なビジョンはあるのですか?
佐藤:同志社大学神学部の一部の学生たちに関して言えば、アクティブ・ラーニングの前に、英語検定と数学検定を受けさせています。英検の準1級には、すでに6人中3人が合格しました。加えて、毎回講義の最初に地方公務員上級試験の教養試験の問題を解かせます。大学院を出るまでに、それに受かるような「出口保証」をしようというのが、その狙いです。
池上:そうですか。地方公務員の上級にターゲットを定めた理由は?
佐藤:なぜ国家公務員の総合職をやらないかというと、その勉強をさせたら、肝心の神学をやることができなくなるからです。勉強に要する時間が、全然違いますからね。文学、哲学、神学などの勉強と両立できるのが地方公務員上級試験なのです。でも、この試験に受かる意味は大きい。
池上:費用対効果が大きい、と(笑)。