もちろん、経済格差が幸福感に大きな影を落とすのも事実で、お金がある人のほうがない人より幸せを感じやすいという傾向はある。しかし、例えばある国の国民の収入が過去に比べて総体的に上がったからと言って、その国民がより幸せになるわけではないし、その国のトップ1%の金持ちだとしても、自分をトップ0.1%の人と比較して、不幸に感じる人もいる。
幸福度ランキングの指標でも、日本の場合、GDPや健康といった数値は高い一方で、「自由度」「他者への寛容性」「社会的支援」といった項目が大きく足を引っ張っている。右を向けば、抑圧的で、個の自由度が低い社会。そうした同調圧力から逃れたいと左を向けば、無限の孤独地獄が待っている。「不自由」と「孤独」のジレンマのはざまで、二者択一を迫られる。それが多くの日本人が直面する悲劇なのかもしれない。
「ロンリネス」が「刹那的考え」になる悪循環
健康や金銭的な充足度など幸福に影響を与える要因はいろいろとあるが、最も大きな決め手は、とどのつまり、その人の「社会的なつながり」である。これは無数の学術的研究によって、実証された真実である。
日本の最大の問題は、家庭や会社、地域といったかつて機能していたつながりのインフラ、「セーフティーネット」が消失しつつあるのにもかかわらず、その代替がまったく存在しない社会構造となっていることだ。「家庭」や「会社」の中だけで人間関係が帰結し、教会やNGO、地域、近所といった「サードプレイス」を持たない人も多い。
イギリスのレガタム・インスティチュートが算出する「繁栄指数」によれば、ソーシャルキャピタルと言われる、社会・地域における人々の信頼関係や結びつきを示す数値は日本の場合、149カ国中99位と、圧倒的に低い。他方、健康、安全、経済環境、教育など、他の8つの指標はおしなべて高水準で、「つながり」の断トツの低さが日本の国力を大きく押し下げている結果だ。
「ロンリネス」は個人の健康や幸福感をむしばむだけではなく、人を攻撃的に、自己中心的にすると考えられており、結果として、社会全体としての寛容性がそがれていく。
ある民間の調査によれば、「深く考える」「積極的に社会と関与する」と考える人は減り、「刹那的に考える」「社会とは一定の距離を置く」と考える人が、この10年で、大きく増え、日本人は著しく利己的で冷笑的になっている。社会としての一体感も、安心感もなく、人々の口からは「生きづらい」「世知辛い」という思いばかりが零れ落ちる。
物理的にも精神的にも寄る辺のない「寂しさ」「虚しさ」を多くの人が抱える「ロンリネス」の時代。すべての人が家族や会社といったしばりの強い共同体に帰属することも、回帰することも不可能であり、現実的な解決策でもない。であれば、社会全体として、問題意識をもって、誰にでも居場所とつながりのある新たな仕組みを作っていくしかないのである。ちょっとあいさつを交わす、おしゃべりをする、行きつけがある、そんな弱くゆるいつながりでも、健康や幸福度を飛躍的に向上させるという研究もある。
自分の存在が認められ、人のぬくもりや思いやり、やさしさを日々、少しでも感じることができれば、生きることへの張り合いも生まれてくるだろう。「人と人との温かなつながり」が「絶滅危惧種」に指定されそうな勢いのこの国が、「令和」という新しい時代に、再び未来への希望を取り戻せるかどうかは、まさに、「美しく心を寄せ合う」風景を取り戻せるかどうかにかかっている。
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