短期的にそのつらさを乗り越える強さは求められても、長期的に「ロンリネスの孤独」を楽しめ、というのは、「孤児」に対して、1人耐え忍べ、と何の手立ても講じないことと同じぐらい、理にかなわない。
「孤独」と「自立」は似て非なるものである。「孤立」は悪いが、「孤独」はいい、という人もいるが、グローバルに「伝染病」として危惧されているのは「ロンリネスの孤独」のほうである。孤独は孤立の内観であり、物理的な孤立よりも精神的な孤独のほうが危険であるという認識なのだ。
しかし、こうしたあまたある医学的学説も、この国では、「孤独万歳」「孤独の力」「孤独のススメ」といった「孤独は美徳」の大合唱にかき消されているのが実情だ。そして、こうした「孤独崇高論」の陰で、人間関係に起因する多くの社会問題が、「個人の問題」「家庭の問題」「自己責任」とまったく手つかずのまま、放置されている。結果として、人と人のつながる力は弱体化し、長期的、慢性的に「孤独」の状態に置かれる人の数は膨れ上がり、ありとあらゆるデータが、この国が世界に冠たる「孤独大国」化していることを指し示している。
「人は社会的動物」「人は支え合って生きていくもの」「周りの人間とのよい関係性こそが幸せの糧」。こういった考え方に異を唱える人は海外では極めて少数派だ。
なぜ日本の幸福度はこうも低いのか?
人々のつながりは社会を支える骨組みであり、その脆弱化は社会の危機であると、国を挙げて、社会を挙げて、つながりを再構築し、「孤独問題」を解決するための取り組みが進められているのが世界の趨(すう)勢である。誰もが心地のよい居場所を持ち、寄り添う人がいる社会を目指すべきだという考え方なのだ。日本においては、そうした社会的合意も取り組みもなく、「孤独の時代」を生き抜くカギは「孤独耐性を高めること」といったディストピア的な考え方が広がっている。
支え合う関係性がなく、それぞれが自分を守ることに必死にならざるをえない社会においては、人々が幸福感を覚えるのは難しいだろう。実際に、日本人の幸福感は先進国中最低水準で、先日発表された「世界幸福度ランキング」では、昨年の54位から4つ順位を下げ、58位だった。2015年の46位から一年を除き、ほぼ右肩下がりを続けている。
この幸福度ランキングを監修し、「幸福学」の権威として知られるイギリスのリチャード・レイヤード氏は日本人の低い幸福度について「大きな謎だ」と驚きを隠さない。犯罪率は低く安全で、高い教育水準と世界有数の医療制度を有し、世界一の長寿国。グローバルに見れば、比較的貧富の差が少なく、豊かなこの国で、これほどまでに「不幸感」が蔓延するのは理解しがたい、という感覚のようだ。
レイヤード氏は幸福の要因として、①家族関係、②家計の状況、③仕事、④コミュニティと友人、⑤健康、⑥個人の自由、⑦個人の価値観の7つを「ビッグセブン」として挙げている。このうち、とくに日本において欠けているのは、⑥の個としての自由度、自主性と①、④のつながりやコミュニティの脆弱性という2点だと考えられる。
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