日本人は経済を「信仰の対象」にしてしまった アトキンソン×北野唯我「日本の生産性」対談
北野:博士号を持っていないから発言する権利がないなんて、すごい暴論ですね(笑)。そんな人は無視してもいい気がしますが、そういう人とも真面目に議論を戦わせたりするんですか。僕だったら、たぶん無視しちゃうと思うのですが。
アトキンソン:残念ながら、こういう暴論を吐く人たちの中には、実際に政策を決めるにあたって発言力を持っている人もいるので、スルーするわけにもいかないのです(笑)。
日本人にとって経済は「信仰」である
北野:本書や、最近『FACTFULNESS』を読んでもそうなのですが、事実を正しく認識することって、ものすごく難しいなと改めて思いました。特に、自分の感覚とズレている事実を素直に受け入れられない。
アトキンソン:それは、多くの日本人が苦手としているように思います。
日本によくあるのが、感情論の域を超えていない議論です。先ほどの博士号云々もそうです。あなたは博士号を持っているかもしれないけれど、発言のレベルは井戸端会議と変わらないと言ってやりたくなることが少なくありません(笑)。
もちろん、そうは言えませんので、データと結論がリンクしていないことを議論の際に指摘します。するとまたしても、感情的になって反発してくる。
ロジックや政策というのは本来、思う思わないとかメンツがどうのとかは関係ない世界です。しかし実際には強烈な反発が巻き起こります。
私には、日本では多くの人が「妄想の世界」で生きているように見えます。妄想の世界ですから、前提とかロジックとかを1つひとつ検証していくと怒り出す。せっかく作った妄想の世界に現実の話を持ち込むなよとでも思っているのでしょう。
多くの日本人にとって日本経済は現実ではなく、信仰なんですね。宗教と同じです。教義は「日本経済は凄い」です。自分の信じている宗教を否定されると感情的な反発が起きるのと同じで、教義を否定するとものすごい反発に合う。
しかし私は、「経済だけは信仰じゃなく、現実論にしましょうよ」と言いたい。神社仏閣は信仰でいいけれど、経済は神社仏閣の話じゃないんだから。