日本人は経済を「信仰の対象」にしてしまった アトキンソン×北野唯我「日本の生産性」対談
北野:私も、10年とか20年とかの中期間の雇用期間はあってもいいのかなと考えています。今の日本って、雇用期間が1年契約か終身雇用のどちらかで、すごく極端ですよね。雇用とは結局、「会社が何を約束するのか?」ですので、終身雇用は無理かもしれない。でも、10年や20年の雇用ならギリギリ約束できる。だから、中期間の契約を許すというのも政策としてありうるんじゃないかと思っています。
アトキンソン:今みたいに人口ピラミッドがいびつになると、管理する人のいない管理職みたいなのができてしまいます。
昔は「部長」が少なかったから、高い給料が正当化されていた。年齢と役職と生産性と給料がぜんぶ連動して上がっていたのです。いわゆる年功序列という「信仰」ですが、これは年齢が下に行くほど人が多いという、バランスの取れた人口構造のときにしか成り立ちません。すでに前提が崩れてしまっているので、年をとっているだけで高い給料をとるというのは、今の時代では成立しません。
日本の人材評価と給料
北野:昔、ブログに、観光業から年収1億円プレーヤーが生まれたら、この国の経済は強くなるということを書いたんです。観光業って、ROIが異常値になりえるじゃないですか。パリの凱旋門みたいなものを1つ作れば、半永久的にキャッシュを生み出し続ける。
でも、観光業界に年俸1億円の人がいるのか調べたら、やはりいなかった。1000万円以上の人もほぼいない。その理由は、まず、多分観光が文化だと思われていて、お金を稼ぐのがあまりよくないと思われているのもあると思うのですが、それ以上に給与に差をつけるという思想がないんじゃないかと思ったんです。
日本では成果とかバリューに対して対価を払うという考え方が、まだ弱いように思います。以前、外資のコンサルに勤めていたこともあって、人事制度、具体的には評価と報酬の設計も、日本中で変えていかなくてはいけないんじゃないかと思っています。
アトキンソン:人事評価がなぜできていないのか、これもやっぱり分析不足に原因があります。こいつはいいやつだとか、無茶苦茶切れるよねとか、感覚だけで判断している。
最近見つけた海外の研究では、女性は自分の実力を1割過小評価し、男性は3割過剰評価するとありました。つまり男性の場合、実力がないのに自信満々な経営者になりやすい(笑)。
最近、この研究が海外でクローズアップされています。カリスマ性が強ければ、それが経営能力の有無より優先されて、その人がトップにふさわしいと思われてしまう。逆に、経営能力はあるけれど態度が控えめな人はトップに向いていないと思われがちであるという分析です。
実は海外でも、これまでは経営実績がきちんと測られていないことが多いのです。実際に測ると、カリスマ性の強い社長の実績はイメージよりかなり低いことがわかってきました。海外でも、トップの評価をはじめ、能力の数値化は今後の課題のようです。