お酒を飲んでいないときの父親はテレビを観て笑ったり、冗談めいたことを言ったり、おどけたところもあったようですが、あまりよく思い出せないそう。その後の嫌な思い出が塗り重ねられ、楽しい記憶が消されてしまったのかもしれません。
母親は「自分(瑛太さん)が部屋を片付けないでいると『片付けといたから』と言う」ような、「肝っ玉母ちゃんだった」と言います。調理師免許を持ち、近所のお弁当屋さんで長く働いていた母の料理は「手抜きでもおいしかった」そう。「近所からもよくおいしいと喜んでもらっていた」と話す瑛太さんは、ちょっと誇らしげでした。
母親のがんが見つかったのは、瑛太さんが高校2年の終わりの頃。近所の開業医から県立病院、さらに東北地方のある大学病院へと紹介され、子宮頸がんと判明します。
治療が始まったのが4月。この頃ちょうど、父方の祖父が急性心不全で亡くなります。祖父の遺産は当初、祖父と同居している長男(瑛太さんの父親の兄)が受け取るはずでしたが、母親の治療費や瑛太さんの進学費を考えた伯父のはからいで、父親も受け取れることに。以前、祖父が購入していた土地の売却金も含め、現金で400万円ほどを相続したと聞いています。
翌2010年4月、高校を卒業した瑛太さんは、地元の役場で働き始めます。ずっと貧しい生活を送ってきたので、将来は安定した公務員になろうと中学の頃から決めていたそう。高校は商業科で、2年のうちに簿記2級に合格していたため、担任の先生からは大学の推薦をとることも可能だと言われましたが、初志貫徹しました。
祖父の遺産を使い切った揚げ句、自殺を図った父親
父親が祖父の遺産を使い切っていたことがわかったのは、この年の暮れ、父親が自殺を図ったときでした。遺書を書いて睡眠薬を1週間分まとめて飲み、車内で練炭をたいたのです。発見されたとき車窓に目張りはなく、父親はタオルをかぶっていたため、「本当は死ぬ気がなかったのでは」と瑛太さんは言います。死にたい気持ちと生きたい気持ち、両方あったのかもしれません。
思い返してみれば瑛太さんが高3の秋、国家三種公務員試験の面接を受けるため、父親に東京への旅費を出してくれるよう頼んだところ、顔を平手打ちされたことがありました。相続から1年ほど経ったこのときすでに、400万円の遺産はなかったのです。
瑛太さんは就職1年目にもかかわらず、母親の入院費に加え、閉鎖病棟に入った父親の入院費まで払うことに。車の購入資金として貯めてきた50万円も支払いにあてざるをえませんでした。
さらに運の悪いことに、父親が入院した精神科の閉鎖病棟は、母親が入院する病棟のすぐ隣でした。父親はたびたび母親の病室を訪れては金をせびり、瑛太さんが渡していた小遣いも持っていってしまいます。母親の病気が悪くなったのは、そのストレスのせいもあったと瑛太さんは考えています。
瑛太さんは次第に追い込まれていきました。職場では上司の激しいパワハラがあり、母親の看病に父親の自殺未遂も重なり、多額の入院費の支払いまでも背負わされ――。ふと気付くと車を林道に走らせ、何時間もぼんやりしていたこともありました。
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