福生「米軍ハウス」を活用した街づくりの正体

カウンターカルチャーが街をおもしろくする

2011年3月に、NPO法人FLAGを立ち上げた佐藤竜馬さん(左)と田中克海さん。 この米軍ハウスを、事務所として使っている(写真:金丸裕子)

減少の一途をたどっている「米軍ハウス」

米軍ハウスを拠点に、福生のまちづくりを行うNPO法人「FLAG(フラッグ)」。福生の文化資源を活用したさまざまな取り組みを行っている。副理事の田中克海さんと佐藤竜馬さんにお話を伺った。

福生と聞いて脳裏に浮かぶのは、まちの中央に広がるアメリカ軍横田基地と周辺に点在する米軍ハウスだ。米軍ハウスは朝鮮戦争が始まった1950年以降、在日の米軍人と、その家族のための住居として建てられた。しかし70年代半ばには大半が空き家となり、日本人の若者たちが住みだした。

「僕は1971年生まれだから、住んでから知ったことなんだけれど、当時の福生のまちには、日本ではまだなじみの薄かったアメリカの文化が漂っていたし、 米軍ハウスは家賃が安かったから、学校や社会をドロップアウトした人やクリエイターが移ってきて、シェアして住んだんですよ。ミュージシャンの大瀧詠一さんや小説家、画家なんかも、ここを拠点に活動していて、独自のカルチャーが生まれたんだよね」

本記事は『東京人』2019年5月号(4月3日発売)より一部を転載しています(書影をクリックするとアマゾンのページにジャンプします)

そう語るのは、今も福生に残る米軍ハウスを拠点に、まちづくりを創造する集団NPO「FLAG(フラッグ)」の副理事田中克海さんだ。ミュージシャンでありデザイナーとして活躍する田中さんは、20年ほど前、米軍ハウスに憧れて福生に移り住んだ。家の前の、バナナの葉が心地よく風にそよぐ、通称バナナハウスと呼ばれる米軍ハウスで家族と暮らしている。

誕生から70年近くが経ち、米軍ハウスは今、減少の一途をたどっている。最盛期には1万戸近くあったのが、現存するのは100~200戸ほど。住居や店舗として活用され、ビンテージハウスの趣を感じさせるものもあれば、廃墟と化しているものもある。ここ数年は、米軍ハウスは福生の文化的資源だとする動きがあちこちで起こり始めている。なかでも活発なのが、2011年にスタートしたFLAGの活動なのだ。

FLAGのもう1人の副理事佐藤竜馬さん(1977年生まれ)は、福生から都内のデザイン会社に通い、週末には地元でFLAGの活動をしたり、家族や仲間と楽しんだりという日々を送っている。「米軍ハウスは福生固有のカルチャーだし、ヒッピーがそうだったように、なぜか取り憑かれてしまう魅力があるんです。自由だけれど破綻してしまった前世代のヒッピーと僕らが違うのは、家族や恋人、仲間が食べるのに困らない程度のスモールビジネスで頑張ろうとしていることです」。

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