61歳「女子プロレス」に賭けてきた男の激闘人生

人気団体「スターダム」はこうして生まれた

月給15万円をもらうことができて、6万円のアパートを借りた。生活はまともに戻った。

「給料はすぐに20万円になりました。ただ50歳近かったんで、もうちょっと稼がないとなあと思いました。そこで当時あった『週刊ゴング』(日本スポーツ出版社)で原稿を書くことにしました」

会社で働き昼過ぎになると

「今日は帰ります」

と言って、出版社に行った。そしてひたすら原稿を書いた。給料と原稿料合わせて40万~50万円稼ぐことができた。

車上生活から1年後、貯金を100万円貯めるまでに回復することができた。

「当時は原稿書くのが好きでしたね。俺って才能あるなと思ってました。勝手にそう思い込むのって大事なんですよ(笑)。ただ、原稿の仕事は数をこなさないと儲からないですから、年をとるとともにだんだん大変になってきますね」

そんなころ、プラチナムプロダクションに所属する愛川ゆず季というタレントをプロレスラーにさせてくれ、という依頼が来た。

練習場、プロレスを教えてくれる人、デビュー戦を手配することになった。

「教えてくれる人がいなかったので、それまで一緒に活動していた元プロレスラーの風香に頼みました」

練習をしていると

「ほかにも、プロレスをやりたい子がいるんですがいいですか?」

と言われた。どんどんその数は増えて、最後には風香さんに

「ロッシーさんが団体をやってもらえませんか?」

と頼まれた。

女子プロレスのナンバー1の団体に

「団体は一度失敗しているからやりたくないな、と思ったんです。ただ集まってくる選手が粒ぞろいでした。これだったらできるかなとピンっときて、2010年に会社を作り、2011年に旗揚げをしました」

旗揚げから2カ月後に東日本大震災が発生した。地方の興行があまりできなくなってしまい大変だったが、まだ新人選手が多く支払いが多くなかったためなんとか切り抜けた。

「旗揚げして2年目くらいで女子プロレスのナンバー1の団体になりましたね。維持もしています。ただ、もともとトップの団体にいたので、現状が当たり前だと思ってます」

ナンバー1になってからも、ロッシーさんは自分で多くの仕事をしたという。

2年余りで女子プロレスのナンバー1となった『スターダム』の輝かしい功績の数々や、好きなプロレス団体のコレクションが所狭しと並ぶ(筆者撮影)
次ページ現在ではなく、もっと先のことを考えるようにしている
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