「いだてん」受動喫煙への抗議は何が問題なのか 「共感を得るか信用を失うか」の決定的な違い
そこから前述した問題提起、危惧、要望がつづられていたのですが、多くの人々が違和感を抱いたのは、「未成年者や禁煙治療中の人たちへ悪影響を与え」「何よりも出演者・スタッフの受動喫煙被害が紛れもなく行なわれている」というフレーズ。「『ドラマを見たから未成年が喫煙に走る』わけではない」「喫煙のリスクは家族や周囲の人が伝えることで、この団体はまったく関係ない」「出演者やスタッフは望んで現場にいるだろう」などの声が上がりました。
「そこまでドラマで影響されるほど自分たちはバカじゃない」「見るも見ないも、自分たちの自由」と言いたいのでしょう。今回、同法人が批判を浴びた最大の理由は、「自らの活動を進めるために、世間の人々を見くびるようなフレーズを使ってしまった」からなのです。
見くびられた世間の人々は、さらなる批判を展開。しかもそれは、「当時の喫煙は普通の光景。風情や感情を忠実に再現して何が悪いのか」「受動喫煙が当たり前だった様子を見て、『いい時代になったな』と感じればいいだけの話。感覚がひねくれている」「これくらいでダメなら刑事ドラマの銃所持や時代劇の帯刀もダメになる」と理にかなったものだったのです。
事実、「いだてん」が喫煙者を描いているのは、「タバコは当時のムードを醸し出す」という文化的な意味合いに相違ありません。「当時に思いをはせて見てほしい」のであり、「今では見られない」からこそ、あえて描くことで視聴者を楽しませようとしているのです。
「自らに正義アリ」の自尊心が仇に
次に、隠し切れない自尊心の高さを思わせるフレーズも、世間の人々を敵に回してしまった一因と言えるでしょう。
申し入れ書には、「全国の受動喫煙被害を撲滅する活動を行う当機構におきましては、時代に逆行し受動喫煙被害の容認を助長する恐れのある貴局同作品の表現は看過するわけにはいきませんので、以下に要望を提示させていただきます」とありました。
「当機構におきましては」「看過するわけにはいかない」のような“自らに正義アリ”と思わせるフレーズは、世間の人々を身構えさせてしまうもの。本来、テレビや大手企業などの巨大組織に申し入れをすることは、「よく言った」と称えられる可能性が高いのですが、そこに正義感をまとわせてしまうと、「独り善がり」「存在意義をアピールしたいだけ」と批判につながってしまうのです。
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