「昭和の炭鉱労働」強烈に危険だった現場の記憶

ブラック企業も真っ青な超残酷な労働環境

1930(昭和5)年ごろまで存続していた(全廃は1941年という)「納屋制度」という労使関係がそれだ。炭鉱労働者を連れてくるたびに手数料をもらえる炭鉱募集人が、炭鉱での生活が楽園かのようにだまして人を集めていた。

連れてこられた労働者は、炭鉱所有者の三菱による直轄雇用ではなく、三菱の下請けとなる納屋頭という身分の者が雇用する形になっていた。三菱から支払われる賃金は納屋頭に搾取されていた。そればかりではない。島に来ると酒を振る舞われたそうだが、実はこれは自腹。いきなり借金を背負うことになる。

さらに、島の売春宿や賭博をすすめられ、借金は雪だるま式に増えていってしまう仕組みになっていた。完全に詐欺の手口である。労働者たちは借金のためにひたすら働き続けることになり、温度が40度にもなるという坑内で1日12時間も採炭させられていた。逃亡を試みても、対岸には見張りがいて、連れ戻されてリンチを受けるという悲惨な結果が待っていたそうだ。

戦後に改善されていった労働環境

戦後の民主化で状況は一転する。労働者がストライキ権を持つようになると、賃金は上がり、労働時間も1日8時間程度までになる。

1952(昭和27)年の軍艦島での調査によると、普通に働いて日当は600円ほど。独身者の1カ月の食費込みの寮費は1500円だったそうなので、娯楽などにいっさい使わなければ、月に3日働けば生活していけたことになる。超絶ブラックからの、まさかの好待遇となっていた。

とはいえ、炭鉱での労働はつねに危険と背中合わせであった。オーストラリアや中国など石炭の大輸出国には「露天掘り」の炭鉱が豊富に存在するが、日本の炭鉱のほとんどが地下深く掘り進んで採掘する「坑内掘り」によるものだった。

戦前、戦中には死者、行方不明者合わせて100人以上の事故が頻繁に起きていて、1914(大正3)年に福岡県の方城炭鉱で起きた事故(方城大非常)では、687人の死者、行方不明者という、近代の炭鉱事故で最多の犠牲者を出している。

安全対策が進歩した戦後になっても事故はたびたび起きている。2ケタ以上の犠牲者が出た事故だけ抜き出してみても、

◎1958(昭和33)年、福岡県・池本鉱業大昇炭鉱、死者14人
◎1960(昭和35)年、福岡県・豊州炭鉱、死者、行方不明者67人
◎1960(昭和35)年、北海道・北炭夕張炭鉱、死者42人
◎1961(昭和36)年、福岡県・上清炭鉱、死者71人
◎1961(昭和36)年、福岡県・大辻炭鉱、死者26人
◎1963(昭和38)年、福岡県・三井三池炭鉱、死者、行方不明者458人
◎1965(昭和40)年、北海道・北炭夕張炭鉱、死者61人
◎1965(昭和40)年、福岡県・三井山野炭鉱、死者、行方不明者237人
◎1972(昭和47)年、北海道・石狩炭鉱、死者31人
◎1977(昭和52)年、北海道・三井芦別炭鉱、死者25人
◎1981(昭和56)年、北海道・北炭夕張新炭鉱、死者93人
◎1984(昭和59)年、福岡県・三井三池炭鉱、死者83人
◎1985(昭和60)年、北海道・三菱南大夕張炭鉱、死者62人

と、並べているだけでも陰うつな気分になる件数の事故と犠牲者を出している。

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