沖縄の世論を動かした若者たちの断固たる行動 分断と歴史、葛藤の島でもがく若者たち(3)

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だが、元山さんは首を縦に振らない。

最後は、与那覇さんが告げた。

「これで、終わりにしましょう」

元山さんは、「うーん」と無念そうだが、最後には折れた。

「悔しいけど、わかった」

105時間に及ぶハンストが終わった。

フラフラと立ち上がり病院へと向かう元山さんを、与那覇さんが肩を貸して支える。ふたりで駐車場へ向かう途中だった。小さな声で元山さんがつぶやいた。

「本当に、ありがとう」

めったに礼など言わない彼の思いが、痛いほど伝わってくる。自分も悔しさが込み上げてきた。

「全然、いいっすよ」

そう答えた。

「大人が静観してていいのか」と政治が動く

そして彼らの行動が、政治を動かした。

公明党の金城勉県議が、県議会の新里米吉議長に賛成・反対の2択から、3択へと変更して実施できるよう与野党の調整を願い出ていたのだ。公明党内部でも、ハンストに誘発された市民の声が寄せられ、動くことになったようだ。その金城県議が、謝花喜一郎副知事に3択案を示したときのやりとりが、地元紙に紹介されている。

「沖縄の未来を担う若者が一生懸命にやってるのに大人が静観してていいのか、と金城県議から話があった」

当初、かたくなに2択を譲らなかった与党も、玉城デニー知事から「私の責任でやらせてほしい」と要請されたことも手伝って態度を軟化させていく。沖縄では野党である自民党が最後までもめたが、最終的には2月24日の投票日をずらすことなく、全県で「どちらでもない」を加えた3択での県民投票が実施できることになった。

2択を前提に署名集めをした元山さんらにとって、3択は妥協の産物だ。だが、全県民が1票を投じることができるようになったことは、何にも代えがたい。

大城さんが大学生のころ、留学先のアメリカ・ロサンゼルスで、世界中の若い沖縄出身者が一堂に会する「世界若者ウチナーンチュ大会」に参加したことがある。沖縄を知らないはずの2世、3世がエイサーを踊る光景が壮観だった。鳥肌が立つほど心が揺さぶられ、沖縄にいるときは感じなかった県人としての誇りがみなぎるのを感じた。

与那覇さんも同様だ。留学先のハワイで県人会の人が奏でる三線やウチナーグチ(沖縄の方言)を聞いて、アイデンティティーを自覚した。沖縄と向かい合うようになったのは、それからだ。

海外や東京などに移住して初めて沖縄の置かれている立場に思いをはせて、その沖縄のためにできることを模索する。そんな若者が沖縄の陥っている迷路に光を照らそうとしている。まだまだ、その意識が広がっているとは言い難いが、彼らの捨て身の覚悟は、世論と政治を動かす力を持っている。

辰濃 哲郎 ノンフィクション作家

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たつの てつろう / Tetsuro Tatsuno

1957年生まれ。慶応義塾大学法学部を卒業後、朝日新聞社に入社。支局、大阪社会部を経て、東京社会部で事件担当や遊軍キャップ、デスクなどを務める。2004年退社。主な著書は『ドキュメント マイナーの誇り―上田・慶応の高校野球革命』 『海の見える病院 語れなかった「雄勝」の真実』、共著は 『歪んだ権威 密着ルポ日本医師会~積怨と権力闘争の舞台裏』 『ドキュメント・東日本大震災 「脇役」たちがつないだ震災医療』。佼成学園高校で甲子園に出場。慶応大学では投手だった。関連して著書に『ドキュメント マイナーの誇り・上田慶応の高校野球革命』がある。

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