沖縄の世論を動かした若者たちの断固たる行動 分断と歴史、葛藤の島でもがく若者たち(3)
「なぜ、仁王立ちに?」
彼は答えた。
「署名に来てくれる人たちが不安にならないように、毅然としていようと思って」
そして夜9時半、水以外を取っていなかった元山さんは、初めて塩をなめた。
「危険」との医師の宣告に「続けたい」
4日目。5市長の態度に変化はない。一方、署名に訪れる人たちは、さらに増えている。高校生や元山さんの学校の先輩や後輩も駆けつける。夜の23時近くになっても夫婦で署名に来る人もいる。なかには、辺野古の基地建設に賛成だが、投票権を奪われることに疑問を持った市民もやってきた。スタッフに基地賛成の立場から論戦を挑んでくる若者もいる。市役所には投票権を求める抗議の電話やファックスが殺到した。
幼い子を連れてやってきた女性(35歳)は、このハンストに触発され、「私にもできることがあるのでは」と、次の日にバスで辺野古の座り込みの現場を初めて訪れた。市民の間で辺野古問題を考える機運が高まっていることは明白だった。署名総数も、最終的には6500筆にのぼった。
ハンストは、3日目がいちばんつらいと言われている。空腹で身体に力が入らなくなり、感覚が麻痺して空腹を覚えなくなるという。4日目に入り、明らかに元山さんが衰弱していくのがわかる。話し方もゆったりとしてきて、声も小さくなった。目だけがギラギラと精気を放っている。極限の状況下でも、彼は極力テントの外に座って署名に訪れる人たちに対応している。夕方には病院に出向き、医師の指示で点滴を受けた。
事態は変わらぬまま、週末を迎えた5日目の夕方、通ってくれていた医師が血圧を測る。2日前には150を超えていた血圧が、90台に急激に下がっている。
「これ以上続けたら危ないです」
その様子を主要メンバーが見守る。そのひとり、与那覇卓也さん(24歳、仮名)は、上からモノを言わずに意見を聞いてくれる兄貴分のような元山さんを慕い、会の発足当初から行動を共にしてきた。辺野古に土砂が投入された日、ショックで謎の高熱を出して寝込んだ。その悔しさを乗り越えるために、できることは小さいことでもすべてやろうと心に決めた。今回のハンストもアルバイトで抜ける以外は、サポートのために泊まり込みを続けてきた。
元山さんの脇にしゃがんで、与那覇さんが声を掛けた。
「どうしますか?」
このとき、公明党の県議が調整に乗り出していることは聞いていた。政治の動きが加速するかもしれない。いま、元山さんに何かあったら、会としての判断を迫られたときに困る。
今度は、大城さんが元山さんに語りかけた。
「このハンストがきっかけで県民投票について考える人が増えてると思うよ」
分断を乗り越えるための対話を促したいという彼の目的は、十分に果たされていると感じたからだ。
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